怒髪天×長野CLUB JUNKBOX presents 長野闘気オレリンピック 2024 “養老ジャパン” 2日目 ライブレポート

中年の星、とかつて呼ばれていたこのバンドは、確かに今もそうだが、もう下手したら、老人の星になりつつある。というより、入っていてもおかしくはない。

だが、そんなバンドこそ、我々の魂を震わせてくれ、と同時に、人間として大事なものは何か、本来持つべきものは何か、というのを教えてくれる。このバンドは、誰しもの人生のアニキ、と呼べるバンドだと、筆者は思っている。

 

北海道発の、R&E(リズム&演歌)バンド、怒髪天。

活動から長年に渡り、中々日の目を見なかったバンドだが、おおよそ15年前、今となってはどこでも手に入るようになった、桃屋の食べるラー油のCMの出演等でブレイクをし、遅咲き中の遅咲き、という形ではあるが、10年前には、当時史上最遅となる、武道館公演も成功させた。
今思えば、あれがいわゆる、ベテランバンド達が武道館に立つ、契機を作ってくれたのだと思っている。

 

そんな怒髪天が、毎年年末、この長野県になるNAGANO CLUB JUNK BOXで開催をしている企画が、【長野闘気オレリンピック】だ。

何故、北海道のバンドである怒髪天がこの長野にこだわっているのかというと、怒髪天が数年の活動休止から再開をした際、動員が出来なかった頃からずっと呼んでくれていたのが、このNAGANO CLUB JUNK BOXであり、その恩を決して忘れない、という名目もあり、怒髪天は毎年年末、このNAGANO CLUB JUNK BOXでライブを行い、かつ、ほぼ毎年と言っていいほど、これが年内最後のワンマンライブとなっている。

 

通常であれば、晦日・大晦日の2日間で開催をすることが多いのだが、今年は年末に大阪で行われるフェス【RADIO CRAZY】への参加や、それこそ大晦日には、親交のあるアイドルグループ、ももいろクローバーZが主催する【ももいろ歌合戦】への初出演もあるため、今年は少し早い、12/21・22の2daysにて行われることになった。

 

そんな怒髪天だが、今年なんと、結成40周年という、アニバーサリーイヤーでもある。

バンドの10周年15周年は数あれど、40周年、なんて聞いたことがない。それはもう、ほぼ演歌歌手レベルの経歴だ。

なので、今年はドカンと、大きなフェスの開催や、1万人以上が入る場所でのライブ!・・・ということは、一度も無かった。

 

というよりも、この結成40周年というめでたい年であるにもかかわらず、怒髪天としては最も、頑張らなければならなかった1年だったはずだ。

 

今年の2月、結成40周年記念公園をSpotify O-EASTにて2daysで開催をしたその数日後、バンド人生のほぼ大半の時間を共に過ごし、ファンからもシミさん、の愛称で親しまれていた、ベースの清水泰次が、解雇、という衝撃の形で、バンドを離れる、いやクビになることになった。
その原因などは公式サイトに出ているため割愛するが、とはいえまさか、あの怒髪天が、怒髪天のメンバーが変わるなんてと、聞いたことがある人であればあるほど、衝撃の出来事だった。

だが、怒髪天は歩みを止めることなく、残った3人で活動をしていくことを宣言し、そういった経緯もあってか、これまでと同様、いやむしろこんなことがあったからこそ、ドサ周りではないが、これまで同様、全国のライブハウスを回るツアーを、今年はずっと行ってきた。

 

だからこそ、今年の怒髪天は見ておきたい。かつ、これを逃せば、40周年のお祝いを出来る最後のチャンスを逃してしまうため、筆者は足を運んだ。

そしてそこには、人生のアニキ達が、汗をかいて、大声を出して、ライブハウスに集まる、馬鹿野郎共に、おかえりを言ってくれる場所が、そこにはあった。

まず、今日この日参加してみてすぐに察したのだが、今日この日、下手したら、自分が最年少だったかもしれない。
それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも若い順で言えば、大真面目に五本の指には入っていたと確信する。

それほどまでに、今日この日のフロアは、筆者よりお年を召された、ダンディ・マダムが大勢いた。
少なくとも、20代は、真面目にいなかったと思う。というより、間違いなく、いなかった。

だが、それほどまでに怒髪天は、自分よりも上の年齢の方の心を掴み、離さないということの証でもあろう。
故にか、本当にこの日は綺麗なくらい、怒髪天のTシャツを身にまとった方がほとんどだった。

 

この日は15:30からの始まりという、普通のライブから考えればかなり早いスタートだが、それもこの長野闘気オリンピックではお決まりとなっている。
ほぼ定刻通りに客演が落とされると、お馴染みのSEである男祭が流れ出すと、観客も慣れたように手拍子を合わせていく。メンバーが登場し、最後に増子直純(以下増子と表記。なお、人物については敬称略とさせていただきます。)が登場し、よく来た!と呼びかけ、北風に吠えろ!からスタートし、そのまま鳴かぬなら俺はホトトギス、令和(狂)哀歌~れいわくれいじぃ~と進む。
途中では、髪型を決めた櫛を客席に投げ入れており、手にしたファンの方にはおめでとうと言いたい。

令和(狂)哀歌~れいわくれいじぃ~ではサビ前、数十秒増子は表情を固め、動きを止めるが、あまりにも凄い顔で止まるもんだから、フィギュアかなんかか?と個人的に思ってしまうが、そんな顔芸さえもライブのエッセンスの一部になっているのだから、怒髪天のエンターテインメントの幅にはいつも感心させられる。

 

よく来た!という増子のMCから、昨日も参加をした人は昨日ぶり、今日だけの人は久しぶりと、全方位に向けて挨拶をし、今年の3人体制になって以降の怒髪天のライブにおいて、全てでベースを務めたサポートベーシストである、亜無亜危異の寺岡信芳(以下寺岡と表記)について触れる。

だが、この日は座って演奏をしているのだが、実はなんと左目の網膜剥離を起こしており、まさにこのライブの翌日が手術だという。
そのため、座りで、かつ首を振ってはいけないということで、ライブを行うが、心は熱いからと言うと、観客席からは歓声が沸く。

そのため、寺岡が首を振ったら指差しで注意するように観客に注意喚起させるが、そんな寺岡さんが乗ってしまうような楽曲を次々やりますと宣言し、ロックバンドが理想や夢を歌わずどうすると、ロックバンド全てに叱咤激励するかのようなHONKAIから再開すると、ジャナイ WORLD・1999G7-0・SADAMETIC 20/20と、この10年以内にリリースした楽曲を次々披露していく。

 

と、ここまでライブを見て思ったのだが、怒髪天だが、R&Eや日本語でズバッと心に刺さる歌詞、増子のキャラ等が前面に出るため、音源だけではなかなか感じることがこれまで自身の中で少なかったのだが、この日のライブでハッと気付かされたことがある。

 

怒髪天、めちゃくちゃ上手いバンドじゃないか、と。

 

ライブの増子のボーカルは、よく喉からCD音源、なんて言われたりもするが、まさにそうであり、一切のブレがない。というより、これで御歳58歳とは思えないほど、ボーカルとして歌が上手く、それこそシャウトをしても、一切崩れない。
ただ、このシャウトは、よくパンク・ラウドバンドで想像するシャウトとは違い、文字通り叫ぶ、という意味でここでは使わせてもらうが、叫んでも飛ばないというのは、本当に40年の歴史がなせる技なのだろう。

 

更に増子だけでなく、ギターの上原子友康(以下友康)のギタープレイも上手い、なんてものではなく、明らかに難しいであろうギターソロを弾いているにも関わらず、時には目をつぶった状態でギターソロを弾くという、一ギタリストとして圧巻のプレイをする姿が特に目を引いた。

というより、この日のライブでまたもや気付かされたことなのだが、怒髪天はほぼ全ての楽曲に、ギターソロのパートがある。

そのため、ほぼ毎回曲中にギターソロがあるため、テンポや曲調によってそのソロも弾き方を変え、時にはエフェクターで音を変えてと、本当に多種多様・芸達者という印象を受け、怒髪天はR&Eや歌詞の印象が強いが、ギターソロのパートもぜひ注目して聞いていただきたいと、心の底から思った。

 

無論この2人だけでなく、リズムを刻むドラムの坂詰克彦(以下坂詰)、サポートベースでありながら、メジャーな曲でもマイナーな曲でも完璧に弾きこなす寺岡と、4人それぞれがしっかり自身の役割を果たしており、バンドの演奏、という面において、怒髪天はとてつもなく高いクオリティを誇るバンドだと、この日のライブを見て改めて思い知らされた。

 

一度ここで長めに間を取り、2005年にリリースしたアルバム、ニッポニア・ニッポンから、普段あまりライブではなかなか聞くことが出来ないであろうレア曲であり、センチメンタルな雰囲気を感じさせる美しき誤解から、更に遡り、2001年に発売のミニアルバムであり、インディーズ時代にリリースされたマン・イズ・ヘヴィから杉並浮浪雲と、レア曲の連発にフロアもしみじみ聞いているようだった。

 

そこからトーキョー・ロンリー・サムライマンで再びフロアの盛り上げを着火させると、ダンサブルなリズムとサウンドで盛り上げる人生〇‪✕‬‪‪ 絵かきうた・そうとは歌ってはいないが、明らかに仕事をしてない人であろう人のことを歌ったタイムリッチマンと、中盤を再び盛り上げつつ、最後のマニー、では再び増子はコミカルな顔芸を披露する。本人がどう思っているかはさておき、もはやこれも、怒髪天の味というべきものだろう。

 

タイムリッチマンが終わると再びのMCのコーナーになり、増子は楽しくてついやりすぎちゃうと話しつつ、タイムリッチマンの歌詞を踏まえ、やっていることは小学生と変わらないと笑い、当時は直純ちゃんとしなさい!と怒られていたそうだが、40年調子に乗らせた結果続いていることを語ると、客席からは自然と笑いと拍手が起こる。

そして昨日の長野闘気オレリンピックは、晦日大晦日でないということもあってか、珍しく長野も暖かく、ああ長野も温暖化かあと思っていたら、そう言わなければよかったと後悔するほど、今朝窓を開けたら寒い・かつ雪もざんざんに降っておりビックリしたと語る。
ちなみに雪は帰る頃には入場時よりももっと降っていた。

かつ、長野市内に大雪注意報も出ているそうなのだが、そしたらここで歌えばいい。ここにいる全員が歌えば始発まで大丈夫だろ、とジョークを飛ばし、仮にその人がステージ上がって歌えなくても友康がハモってくれると言い、友康もまた、1日中歌えると宣言し、実際、福島で行われている、風とロック 芋煮会というフェスにおいて、一日中THE BACK HORNのギターである栄純と歌い、スタッフから止められたというエピソードを語る。
そのエピソードを聞いて、そんなシャツを着てる人は違うねと言い、この日友康が着ていた、サテン生地のような光沢のある生地で作られたシャツについて突っ込み、高いお菓子の箱に入ってる布みたいだと増子は語る。

 

そこから寺岡の網膜剥離について、原因は加齢ということも原因だそうで、過去、ドラムの坂詰も緑内障で手術をした経験があり、加齢について語り出すが、坂詰は加齢というより、頭がおかしいんじゃないのかと増子が語る。

というのも、長野県のソウルフードの一つである山賊焼きのエピソードで、松本でライブをする際、毎回山賊焼きのお弁当を出してもらい、かつ、山賊焼きがなぜ山賊焼きなのか、という説明がついた紙が用意されており、それを読んでいるにも関わらず、昨日の打ち上げの際に山賊焼きが出た時に、メンバーからどうして山賊焼きと言うのかの説明を求められた際、その由来を忘れ、ヒントを出しまくってもらってようやく答えられたという昨夜のエピソードを語る。

そうして散々加齢や何やらのエピソードを話すも、増子もまた、横山さん、という方がいるそうなのだが、昨日その方をPAだと言ったが、実は照明だったと、自身にも加齢が来ているエピソードを語る。

 

でもそんな状態だけど、まだまだ伝えたいことがあると、この年齢になったからこそ歌えるようなザ・リローデッドから後半戦が始まると、はじまりのブーツでは、最後のサビの一部をファンに歌わせる。
更にこの時期に相応しい溜息も白くなる季節に…から、サビの部分では声の限り叫んだクソったれのテーマ。そして、怒髪天の最速球であり、誰もの心のど真ん中にズドンと刺さり、特に、夢ややりたいことがある人間ならば、尚のこと刺さる名曲、ド真ん中節では、途中、俺のド真ん中ではなく、お前のド真ん中と、歌詞を変えて歌う。

このことについて、この後のMCで増子が語っていたが、ド真ん中節を書いた際、あえてお前ではなく、俺、というワードにしたと語る。
それは、自身だけでなく、誰しもの俺、という、歌われているその人自身に向けて書いたが、時間が経ってようやく、お前、という言葉が使えるようになったと、心境の変化、並びに時が経ったことによる変化が曲に出たことを騙る。

 

ただ、クソったれのテーマ・ド真ん中節の2曲を続けてやったことは自分でもどうかと思うと語り、今体力が点滅状態。ス〇‪IIで言えば、あと一発食らったらうおぉとスローモーションになって倒れる状態だと語る。
ちなみにここで筆者は大爆笑したのだが、ファンはいまいちピンと来ていない印象があり、ジェネレーションギャップをこの瞬間に感じたと記しておく。

 

そのため、体力回復のためにも、ここでメンバー紹介と、予定外のコーナーが始まったのか、友康は思わず増子の方を見るが、それでも行うことになり、友康はこの1年は色々あったけど本当にみんなに支えられて楽しくやれたと語り、来年はヘビ年だから、こちらから絡みつきに、抱きつきに行くと言うと、黄色い完成が上がる。

 

続いて寺岡に振ると、2年前このNAGANO CLUB JUNK BOXにて、亜無亜危異と怒髪天で対バンをした時、最初が亜無亜危異であり、その後の怒髪天をPA卓で見ていたが、その時は増子のMC面白いな、という印象しか無かったそうで、実際増子もそれだけかよ!?と思わずツッコミを入れざるを得なかった。

で、まさかその頃には、怒髪天に入るとはまったく思っておらず、かつ、参加してみてわかったそうだが、怒髪天の曲の難しさを痛感したと語るが、それでも練習を重ね、なんとこの1年で、110曲覚えたというと、フロアからは驚きと寺岡への努力に拍手が送られるが、その後に、でもまさか4日前まで、座って演奏することになるとは思わなかったと、網膜剝離という予想外の事態に見舞われたことに、自らも笑うしかないという具合であった。

そのため、今年は手術、並びに術後の療養期間があるため、このライブが最後だが、来年からもまたよろしくと、来年も怒髪天のサポートベースを務めることを宣言すると、再びフロアからは拍手と歓声が起こり、手術後は2倍目が良くなって帰ってきてほしいと増子は語る。もちろん2倍良くなるわけはないが。

 

坂詰は、その寺岡の頑張りに素直に感服し、自分だったら110曲覚えるとなったらまず楽譜に起こすが、寺岡はそれをせず全て耳コピをしたため凄いと語りつつ、今年、ファンクラブである侍青會の運営企画本部長になったから、役目を果たすため頑張ってますと語り、会計とかやってますと言うと、即座に嘘つけと増子に突っ込まれ、AIを勉強してやってもらおうかと思ってますと、まさかのAI頼みに観客も笑うが、すかさずAIのがちゃんとやってくれると、増子はダメ出しなのかフォローなのか、それともマジなのかわからないツッコミを入れる。

そして最後に再び増子にマイクが戻ると、まぁ坂さんはどっかで聞いたようなことしか言わないと観客の笑いを誘い、やはりこの1年色々あったが、皆がサポートをしてくれたおかげで楽しくやれたと語り、ここで昨日もやったが、まぁせっかくなのでと、増子と友康はサンタ帽・寺岡はトナカイの角・そして坂詰は何故かフルフェイスのトナカイマスクにギンギラギンのトナカイの角という被り物をする。
ちなみに坂詰がもたもたしていたからか、増子が坂詰のトナカイの角をセットした瞬間、ヤラセかと思うほど、綺麗に顔の前にくるんと落ちた瞬間、袖にいたスタッフ含め全員が爆笑し、笑いという意味では、この日一番のハイライトになったと言える。

 

そしてようやくセットが終わり、我々からの薄汚れたクリスマスプレゼントと、クリスマス前の時期にライブをやるからこそ演奏が出来た、マライア・キャリーの名曲である、恋人たちのクリスマスのカバーが披露される。

増子は大きい紙で出来た歌詞カードを見ながら歌うが、途中からは見るのをやめて歌い、演奏が終わった後にはそれを破こうと思ったが、素材の関係かなかなか破けず、しまいにはくしゃくしゃにしたと思っていたら、口の中へそれを入れ、そのままそれを客席に投げるという、数年前のコロナ禍だったら絶対アウトな、傍若無人っぷりを見せつける。

 

そして最後は、ライブハウスへ集まった者達との再会の歌であり、怒髪天サイドとしても、年末また長野へ帰ってこれたことに対し、ファンから祝われるかのように、お互いがお互いにただいま!おかえり!を言い合い、祝い合う、エリア1020という、今の怒髪天の最新曲で終えるという、40周年だからといって過去生み出した名曲で締めるのではなく、最新の曲で終えるというのに、非常にロマンを感じた。

曲中、増子はそれまでしてこなかった、フロアに手を伸ばし、それに対してファンも前に詰め寄り、ハイタッチを求め合う姿は、間違いなくこの日のハイライトであった。

 

最後はメンバーがありがとうと言いつつ、友康は愛してるよー!と言い、坂詰も負けじと愛してるよー!や、君の瞳にカンパイなどボケつつ全員に感謝を述べた後、最後にメンバー全員手を繋ぎ、フロアにいたファンにも全員手を繋ぐよう言い、全員でこの日の感謝と成功を喜び、この日の公演を終えると、また生きて会おう!と、来年もこの場での再会を誓い、この日の公演を終えた。

 

尚、この日はアンコールはなかったが、とはいえおそらく、ファンからしても、寺岡にこれ以上無理をさせてはいけないという気持ちがあったと思っており、客席の電気が点灯してからは、全員スッと、誰もアンコールを求めずにフロアから去っていったのいも、大人の美学や優しさを感じた。

 

先にも言っていたことの重複にはなるが、今年の怒髪天は日本の数多のバンドの中で、最も逆境というか、頑張らなければならない1年だったはずだ。

しかし、だからこそファンは応援をし、ピンチのバンドだからこそ、これまでと変わらないサポートをする姿は美しく、かつ、バンド側も、悲しいことがありましたという素振りは一切見せず、これまで以上に完成されたバンドの姿を見せており、ひょっとしたら、40周年を越えた今、一番バンドとして仕上がっているのかもしれないと、肌で感じた。

フェスなどではなかなかお目にかかれないバンドかもしれないが、それでも今の怒髪天は本当に素晴らしく、多くの人に見てもらいたいと思う。

ライブやフェスに参加をしている若い方々にもきっとウケると間違いなく確信しており、おっさん(ジジイ)だからと敬遠をせず、一度見てみれば間違いなく虜になると筆者は確信しており、何よりも、こんなに人間として大事な、ど真ん中に置いておきたい大事なことを歌うバンドが少なくなっているような中で、剛速球のストレートを心にぶつけてくるバンドも非常に稀有だ。

そのため、これからもずっと、元気に活動をしてもらいたいと、心の底から思っていると同時に、来年もまた、師走の忙しい中ではあると思うが、またこの長野闘気オレリンピックを開催してほしいと、切に願っている。

 

来年、結成41年に怒髪天はなり、かつ、増子ももう後2年したら、とうとう60歳。還暦だ。会社だったら退職している年齢なのかもしれないが、本人達がやめると言わない限り、怒髪天の旅はまだまだ終わらない。歩きつづけるかぎり。