Sunny vol.10 THA BLUE HERB ”ONEMAN SHOW” レポート

まず、予め言っておきたいことがある。

 

正直、このレポートは、この日のBOSSの言っている言葉の、10分の1も綴れていない。

 

だからこそ、正直に言うが、自分の言葉では、この日を伝えることは無理だ。というか、どのライブだってそうだ。

けれどそれでも、綴りたいと思う。こちらもブロガーの端くれ。あの日のライブでお前もやれよ!見せてくれよ!とBOSSが言っていたのだ。ならば、やるしかない。

下手な言葉で、抜けがあってもそれでも、自分の言葉で、6年ぶりの松本ワンマンライブを、レポートしていこうと思う。
また、今回のワンマンライブは共同開催として、昨年も長野で行われたライブの仕切りをしていたサニーレコードが協賛に入って開催された。

 

個人的に、だが、BOSSことILL-BOSSTINOは現代の詩人だと勝手に思っている。時代が違ったら、間違いなく文豪、と呼ばれてもおかしくなかったかもしれない。

ラッパー、という職業ながら、その言葉の一言一句が、時にはちょっと触れるだけで多量出血になれば、片やそっと寄り添ってくれ、何も言わずに傍にいてくれる優しさもあれば、お前だって頑張れよ!とケツを思いっきり蹴り上げる。そんな多種多様な、札幌訛りの日本語を言葉巧みに操る。それがILL-BOSSTINOだ。

音源だけでもその言葉のパンチ力はさることながら、ライブでは言葉も、そして音も変わる。

ライブはただのショーではなく、誰かをBeefするわけでもなく、今日ここに来た一人一人と、THA BLUE HERBという札幌からやって来た1MC・1DJの一個小隊が、感情の高みを目指していく。
そしてそんなTHA BLUE HERBというロケットを、フロアがまるでロケットエンジンかのようにどんどんと上昇させていく。

 

結果、この日のトータル120分で間違いなく、高いところ、頂点付近に行けた。あの日フロアにいた全員、誰もがそう確信していたはずだった。
そんなこの日、最高気温が37度だった松本の夜を、レポートしていく。

開演時刻を少し回った頃、DJ DYEが登場し、SEのようなビートを鳴らしていき、空気感を一瞬で引き締めると、いよいよBOSSが登場し歓声が上がる。

いくぜ!と掛け声一つ、最新アルバムであり、BOSSの2枚目のソロアルバムである【IN THE NAME OF HIPHOP II】の1曲目であるHOLD ONからスタートする。

 

今回用意させてもらったのは15曲と音源では言っていたが、そこをこの日演奏する曲数に言い換えると、想像以上の曲数にフロアが湧き、早速仕事捗ると、曲の最後のセリフそのままに言うと、BLOODY INK、サウイフモノニワタシハナリタイと、立て続けにソロアルバムからの楽曲を1st,2nd織り交ぜつつ、AME NI MO MAKEZ、とBOSSが叫べば、往年のファンが一斉に歓声を上げる。

 

この日のフロアの年齢層も、個人的には色々なライブを見てきたが、相当年齢層が高い方だ。BOSSより少し若いくらいの年齢層の方が多く(BOSSはMCで明らかに人生折り返したやつばっかじゃねぇかと笑っていたが)、それだけの年数を重ね、ずっと好きで居続ける人がこれだけいるのだと思えば、AME NI MO MAKEZは、ただの言葉ではなく、これが人生の応援歌、雨にも負けずと歌い続けてきた人ばかりしかいないのだろう。

 

この日、前日に飯田で行われていた焼來肉ロックフェスに出演した際、持ち時間が40分しか無かったため、せっかくならもう一晩ということで、今回の松本でのワンマンライブを決めたという。

4曲目が終わってからこのMCをし始めたのだが、毎度毎度思うが、BOSSのMCは、MCとは思えない。いや、正確に言えば、その日のことや思っていることをビートに乗せず話してはいるため、MCなのだろう。だが、このMCにもどこか緊張感が常に走っているような気すら感じる。
どのセリフも聞き逃してはならない、次の一言からどう次の曲へ行くのか。これはもう、ワクワクというより、気を抜いたらついていけなくなる。そんな思いを感じつつも、時にはBOSSの言葉にフロアが笑い、リアクションをするため、緊張感と笑いが混ざり合う、何とも表現し言えない空気感のMCは、ブルーハーブならではだろう。

 

そこからも絶えず曲は続き、dj hondaと共作したGREED EGO・刃頭と作り上げた野良犬から、1stアルバムのBOSSISMと、25年を越えた歴史の中で作ってきたもの・仲間や尊敬するレジェンドと共に作り上げた楽曲が絶えず続いていくと、ヒップホップの名の元にと、1stソロアルバムの最初の一言目の後、ビートが鳴り響く中、BOSSの絶叫とも言えるシャウトがフロアに鳴り響くと、SHINGO☆西成と共作したSomeday、THAT’S WHENと続けていく。

 

2019年に出したセルフアルバム【THA BLUE HERB】から、当時ライブ活動を休止しひらすら製作に打ち込んでいた中で再起動するかの如く発表したTHE BEST IS YET TO COMEでは、語り掛けるように、それ俺にもあったけど、今やんなきゃきっとやんないよ。と語るその姿は、ここまでプロとして生き残り、50を過ぎた今でも立ち続けているからこそ言える、シンプルでありながら、最も強い経験談を、たったの20文字足らずで言い切る。

そのシンプルな、やるべきやつはやる。それを続ける事の難しさも、やり続ける難しさも、その気持ちを持ち続ける難しさも、誰もが知っている。だからこそ、ベストはまだだ。50歳になって、自分はそう言えるんだろうか。いや、だからこそ、そうならなければならない。その時上がった歓声は、俺もやってやるぞと言わんばかりの声だったかもしれない。

 

札幌に四半世紀以上住んでいるが、そもそもの故郷は函館の田舎の方で、その当時学校から海が見え、そこから旅立つ船を見送り、外の世界に思いを馳せていた。
ただその頃は星空を・・・見てはおらず、ずっと音楽を聞いていた。
その当時聞いていた中には、歌詞にも使われている、LAUGHIN’ NOSE、SIONなどを聞いていたという。

その上で、歴史や伝説を残して早く死んでいくアーティストもいいと思うけど、俺はそうじゃなくて、死に損なって、それでも未だに音楽を鳴らしているヤツの方が好きだと語り、かつて、いや今も歌い続けるこの言葉、追う者は追われる者に勝る、ではなくて、追われる者は追う者を待たずと口にする。

そうして、未だに最前線を走り続けている偉大なるミュージシャンへの尊敬を、自分にとっての星々と表し、敬意と尊敬を込めて、STARSをプレイしていく。

 

一転、ヒリヒリとした言葉と諦めてしまいそうな自分の弱い部分を叱咤激励するかのようなTHE WORLD IS YOURSから、先程も口にしていた追う者は追われる者に勝ると歌うMOTIVATIONでは、同じくフロアもまたその言葉を叫ぶ。

 

その後のMAINLINEでは、最初の歌詞が全部飛んだからと、フリースタイルで即興で歌詞を紡いでいく。どんなピンチでも乗り切る、いや歌詞が飛んだらまた新しい歌詞をその場で即興で歌い上げていくその技は、アーティスト数あれど、ラッパーしか持ち得ない最大の武器だろう。

その次には、最新アルバムの最後の曲であり、今年の元旦に発表されたYEARNINGだ。メロウなビートに乗せ、無いなら作る、居ないならなる、自分がなる。というシンプルかつ、強力なパンチラインに胸をグッと掴まれる。
正直、今年の頭にこれを聞いた瞬間に、これはとんでもないアルバムが出るなと思っていたが、それは間違ってなく、だからこそこうしてワンマンまで来てしまったという理由があるのだが。

 

THA BLUE HERBとも親交の深い兵庫は姫路のバンド、bachoのNENASHIGUSAをサンプリングしたLOSER AND STILL CHAMPIONでは、拳が次々上がる。

更に最後では結成当初から発表してきたシングルやアルバムなどを発表した当時の年齢がいくつだったかという歌詞があるのだが、それだけでなく、2020は48歳、dj hondaと一緒に作ったアルバムが49歳、そして今年に出したアルバムが51歳と、この曲が発表された後にリリースした音源の年齢も口にしていく。

わかるよな?年齢上がってっからペース上がってんだよ!と事実を口にしつつ煽れば、フロアが興奮しないわけがない。
というより、今が一番リリースペースが速い。それも、51歳。その事実だけでも、単純に凄すぎるのだが。

 

そこからのRIGHT ON、から来れば、もはや次に来るのはこれしかない。

曲の前に、もっと前に来いよ!とBOSSが煽り、一斉に観客全員我先にと前に詰め寄り、モッシュピットのような状態となりながら、拳を上げて全員が叫んだ未来は俺らの手の中では、コロナがあっても俺達はもう途切れることはないと口にしていたが、まさにその通りだろう。

そこからのやり残したものがあんだったら頑張れよと言わんばかりに、定番曲となったAND AGAINでは、これから夏、そしてそれが過ぎれば収穫の秋!これからが本番なんだろ!と口にすれば、またもや歓声が上がる。

 

MCでは、先程言ったように、今が1番ペースが速い。 ただそれも、自信があるからこそ出していると語る。

そんな中、この日本は生まれた頃からするとどんどん悪くなっていて、子供を見ると大変だなって思ってしまう。また、外を見れば、海外では戦争をやっているが俺らは音楽を楽しんでいられる。いつまでこういられるかはわからないが、俺らはここを守っていく。と口にすれば、自然と拍手が沸き起こる。

加えて、どんどん悪くなっていくこの国で、21世紀の途中でめちゃくちゃ遊んだっていう、THA BLUE HERBの歴史の一員なんだぜ!と口にすれば、またもや歓声が上がる。

 

松本に来たのは6年前で、もう何回来たかは数えてないが、ただ、お客のことをよく見ているという。いつ来たか、どこでどう盛り上がるかなど、名前は知らないがかなり見ているという。
そうやって多くのお客を見ているからこそ、2人だけでライブはやってるわけじゃないからこそ、上げてくれる。だからこそ、こっちは人様より少し高いとこでやってる姿を見せてるから、そっちもやってる姿を見せてくれよ!と口にしてから、再度dj hondaと作り上げたGOOD VIBES ONLYは、そのタイトル通り、いいバイブスがフロア中を包み込んでいた。

バラッドを俺等にでは、昨日の焼來肉ロックフェスからの道のりを歌いながら、松本に到着して見た37度という気温にマジかとなるなど、ここまで来た風景を歌い上げ、この日限りの、この日しかない、バラッドを俺等にだった。

 

最後に、携帯で撮影していない・バーカンに客が溜まっていないなど、今日のお客さんのマナーの良さを口にし、今日もライブが無事に終わりを迎えつつあることを自分達だけでなくフロア全体で喜びを分かち合うと、最後にプレイしたのは、今日無事だった。

ありがとうございました、とBOSSはステージから客席に降りて観客とハイタッチをしながら裏へと戻っていく。

 

だが、すぐさま再度ステージに登場する。何だポーズか?と思っていた矢先、実はこれは予定外であり、本当ならば今日は先程の今日無事で終わりにしようとしていたのだが、このお客さんのテンションと空気感だからこそ、いけるんじゃないか?とライブ中に2人で相談し、急遽もう1曲やろうと決めたという。それも、初めてやるのだというと、またもやフロアは沸き立つ。

ありがとうございましたはライブだと最後にしか言わないし、さっきもう言ったからと、ありがとうは口にはすることはしなかった。

代わりに、またねとさよならという意味を交え、曲が始まるにはコールアンドレスポンスの練習もさせてアンコール的に、SAY GOODBYE HEARTACHEをコールアンドレスポンスも交え、万感の想いで全員でグッドバイ、を言い、またの再会を望み、120分の松本場所が終わった。

 

 

正直、これが自分は初めてのTHA BLUE HERBのワンマンだった。フェスやイベントでは何度か見ていてその都度凄かったのだが、当たり前な話になるが、やはりワンマンは別物だった。

こうして生でBOSSの言葉を浴び続けるのもそうだが、ステージの柵に足を乗せ、体をかがめて全力で歌い続け、言葉を吐き出していく。51歳でここまでのパッションとライブパフォーマンスを見せられたのだ。自分だって頑張らなければならない、歯を食いしばって、やりたいことを、叶えたいことを叶えてやろうという気持ちになれる。というか、ならない方がおかしい。

 

もしかすれば、THA BLUE HERBは昔が凄かった、もうオワコン、と言っている人物もいるかもしれない。

正直、自分だって知ったのは約10年ほど前から。つまり、4thアルバムのTOTALが出た頃だった。だから、それ以前のことは知らないし、映像などで見るしかない。

 

だが、51歳でこんな全力でライブに臨み、迸るパッションで2時間ノンストップで汗をかきながらライブし続けるなんていうのは、やり続けないと絶対に出来ないことだ。

だからこそ、今現在進行形のファンだからこそ言いたいのだが、THA BLUE HERBはは昔凄かった、ではなく、今も凄い。今が、凄いのだ。

 

続きが楽しみなドラマはまだあって、と歌っていたが、まだまだ僕は、THA BLUE HERBの続きが楽しみで、そしてまだ、ライブを見て、またこの坩堝を体験したいと心の底から願っている。

 

また、これは完全に個人に起こった話だったのだが、松本ALECXにはフロアにソファがある。
そこに座っていると、この日、たまたま隣に座っていた人とひょんなことから会話が生まれた。

話を聞くと、なんとまだ18歳で、それもこの日が初めてTHA BLUE HERB、もっというと、初めてライブというものに来た、というのだ。

 

その話を聞いて、初めてのライブがTHA BLUE HERBで羨ましいと素直に思ったことや、18歳でブルーハーブを聞いているセンスの良さ、など、色々なことを思ってしまい、話が弾んだ。

そんな出会いを生んでくれたことに感謝しつつも、やはりALL AGESで、様々な年代が入り混じって一つの音楽を共有する、ライブというものは、やはりコロナがあったからこそ、より一層かけがえのない、贅沢な時間なのだと改めて肌で感じ、どうかいつまでもこうしてライブが、ライブハウスという文化が続いていくことを心の底から願っている。

 

 

ちなみに、最後に、一番どうでもいい余談を一つ。

この日のライブの写真がTwitterに上がっているのだが、その中でフロア全体が手を挙げている写真があるのだが、その一番手前に映っている手が、自分だということも伝えておく。
こんな形で映るとは思わなかった(猛爆)