2024年、これからの防災を考える
新年、あけましておめでとうます。と軽々しく言える雰囲気ではとてもなかった。そんな、息苦しいお正月だった。
1月1日、元日早々から起こった石川県能登半島地方を襲った地震、加えてその地震によって起こった津波により、石川県にある珠洲市は9割近くの建物が住めなくなった。
さらにこの悲劇の連鎖が続くかのように、翌日には羽田空港にて千歳からやって来る飛行機が、海保機、それもこの被災した石川から帰ってきてから、息つくまもなく、次は同じく被害を受けた新潟県へ向かおうとしていた矢先、どちらかの管制室の指示系統ミスにより、正面衝突。結果、海上自衛官5名が、復興のため尽力しようとしていた矢先、信じられない事故で命を落としてしまった。
2023年も相当に酷い年だったが、年が明けて2024年、たった数日の間に痛ましい事故や天災が立て続けに起こってしまった。とても、三が日を祝おうなどという空気感では無くなってしまった。
支援も色々なところでスタートをし、有名人のSNSでは自粛するか、或いは明るい方法でこれまで通りに発信を続ける人もいる。
もちろん、これはどちらも正しく、どちらかが間違い、というのは決してない。
加えて、この災害でSNSでは様々な意見が飛び交っている。一般人有名人関係なく起こっている。これはこれまでもそうだったが、世が世ということもあり、より激しく、鋭さを増しているように見える。
で、そんな中ではあるが、僕はそのSNSのタイムラインを見るのに、たった2日で、大いに疲れてしまった。
故に、この2日間、あまりSNSは見ずに、自分の心が休まるようなものを選択してきた。
それもこれも、自分もまた、以前天災で被害を受けたことがあるから、というのもあるかもしれない。
4年ほど前、史上最大級の台風となった台風19号。
その際、自分も河川氾濫の危険性があり、一時避難を余儀なくされた。
幸い、というか、幸か不幸か、我が家にはペットがいる。
当たり前だが、避難所にペットと共に避難をすることが出来ない。そのため、車中での避難しか出来なかった。
そのため、雨足が収まったそのタイミングですぐに家まで帰ることが出来、ライフラインも止まっておらず、我が家や住んでいる場所の近隣では目立った被害はなかったため、不安ではあったが、その日も我が家で眠れた。とはいえ被害も相当なものだった。
詳細については、当時自分の体験と経験を元にした記事を残してあるため、そちらも読んでいただきたいと思う。
というわけで今回は、今一度、天災が頻発する日本という国での防災について考えていきたいと思う。
今年、大きな災害がまた発生するかどうか
まず、見出しでも書いたように、今年また、今回の能登半島地震のような天災がまた発生するかどうかについてだが、これは地理学や気象学などに基づいたようなものではなく、あくまで感覚的な部分での考えなため、間違いも発生すると思って読んでいただきたいが、個人の意見としては、間違いなく日本のどこかしらの地域で、起きる。そう結論づけている。
その理由になるが、これはもう言わずもがなかもしれないが、大雨だ。
昨年の福岡・青森と、大雨による被害は凄まじく、記憶に新しいだろう。
それだけではなく、過去、茨城・岡山・長野等々、様々な県で大雨による河川氾濫・土砂崩れなどといった被害が立て続けに起こっている。
大雨の災害とは言うものの、唖然としてしまうような天災が、一年に何度も何度もやって来ている。河川の氾濫で、広範囲の土地・建物が浸水というのは、まごうことなき大災害なのだが、もはやそれが起きすぎてしまっており、よくある光景、になってしまいそうなのが嫌になってくる。
書いているだけで気を落としてしまいそうになるが、紛れもなく、現実で起きた話だ。
その教訓から学ぶことも勿論あるし、自分も当事者になった経験があるからこそ、避難所の駐車場から帰る道中、道路の近くを流れる河川の量が見たこともない水かさになっており、これがもし溢れていたら・・・と心配し、恐怖したあの夜のことは未だに頭からこびりついて離れない。
だからこそ、今年もどこかの地域で災害は、必ず起きる。そのために準備はいつだってしておいた方が絶対に良い。個人としてはそう考えている。
では、そのために何をするべきか・防災グッズを用意しろ、と言われれば当たり前だが、以前避難を余儀なくされたからこそ、これは必要だと感じたものをお伝えさせていただきたい。
個人的に必要だと感じたアイテム
食料<水
言ってしまえば、ご飯(お米のこと)が数日食えなくなったって、死にはしません。
それこそ、この世には水がなくても食べれるものは数多くある。お菓子もそう。パンだってそう。ゼリー飲料だって当てはまり、お腹も溜まれば水分補給も出来る。
ただ、やはり水に関してはどうにもならない。
水、と一口で言っても、ただ飲むため、だけではなく、トイレを流す・お風呂に入る・選択をする・手を洗う・顔を洗う・歯を磨く・掃除をするなど、水、と一口で言っても、用途は様々あり、皮肉なことだが、仮に水害があったとして、その汚れを流すためにも、ひいては生きるために必要なものもまた、水なのだ。
農林水産省の公式サイトのこのページで書かれているように、水が止まった際、一人当たり必要な水は1日3リットル・最低3日分の9リットルの備蓄が必要だと言われている。
とはいえ、これはあくまで一人分であり、家族が増えれば増えるほど、量というのは当然増えてくる。
加えて、3リットルといえど、その目安も人によって違いがあるのはもちろん、気候によって、水を使う量も欲する量も大きく変わってくるのは当たり前であり、結局のところ、大は小を兼ねる、ではないが、あるに越したことはないのだ。
ただ、だからといってじゃあ水道水を溜めておけばいい、と安易に考えるのは、間違いである。
水道水には消毒効果のある残留塩素が含まれているが、長期間持続しないため、例えば、台風など目に見えてヤバいのが来ると事前に予測出来る災害ならばそれを溜めておき、雑菌が入らないような飲み方をすれば、保管方法をしっかりとしておけば数日程度なら持つため、それでもギリギリ大丈夫かもしれない。
ただ、それ以上が過ぎたとしたら、その水は腐っているため、掃除などに使用した方が良いと言われている。
なので、長期保存出来る水、というのが昨今数多くあり、下記に挙げた一例では、5年以上持つ水が数多くある。
何度も言うが、水はあるに越したことはないと思っている。
そのため、仮に食料を用意せずとも、少なくとも水は用意しておくべき、と考えている。
防水仕様の靴・ないしは安全靴
かつて台風で避難をしたが故、雨がとても酷かった。
そのため、当然ながら、歩く地面は濡れていた。
そういった災害の時には長靴よりスニーカーの方が良い、など色々言われているが、個人的に以前避難をした際に履いていたのは、安全靴だった。
安全靴については、以下アスクルのサイトより引用させていただく。
安全靴とは、JIS規格をクリアしたものことを指します。その定義は『つま先を先芯によって保護し、すべり止めを備える靴』で、安全靴には作業靴とは異なり先芯が入っています。先芯があることで、足先への重量物の落下や釘などの踏み抜きから作業者の足を守ります。用途は広く、工事現場、工場、鉱業、建設業など足への危険を伴う作業場で着用します。JSAA(公益社団法人日本保安用品協会)の規格をクリアしたものは「プロテクティブスニーカー」と呼ばれます。
(引用元:作業靴とは?タイプ別・作業環境別に見る正しい選び方より引用)
家が倒壊した場所や、泥が多い地面を歩く際、スニーカーでもいいのかもしれないが、とはいえ足元には予想もつかないものが散らばっているかもしれないという時に、こうした工事現場や鉱業など、足の危険を伴うような作業をする仕事において履かれている安全靴を一足持っておくことをおススメしたい。
少し値は張るかもしれないが、ただ、当然普段使いも出来るため、ある意味足に馴染ませておいた方が、いざという時も履きなれていない靴で疲れることもないため、普段使い用としても考えてみてはいかがだろうか。
起こった後の想定をしておく
と、あれもこれも必要なのだが、何よりも一番準備をしておくことがあるとすれば、起こった後、どういった対応をするか、だ。
例えば、被害を受けたが、家には何の問題も無かった。けれど、電気やガス、水道といった、ライフラインに関わるどれかが止まってしまった場合、どう生活をするかを考えるか、というだけでも大いに防災になる。
電気であれば、情報をどう取っていくかだけでなく、スマートフォンの充電はどうやって行うかだけでなく、これは実際、先程紹介したブログにも書いたことだが、当時祖父の家の電気だけがしばらく使えない、という事態になった。
その時に、スマートフォンよりも困ったものが、冷蔵庫だった。
当たり前だが、冷蔵庫だって電気を使う。そうなると、食べ物の保管だけでなく、冷凍していた食品も電気が通っていないため、だんだんと溶けていってしまった結果、当時冷凍庫に入れていた食品全てがダメになってしまったという経験をした。
そのため、ただライフラインが止まった、なんて一言で言うのは簡単だが、そこには様々な苦労があり、立て直すにはどうしたらいいかということも考えつつ、同時にそれらが止まった後の暮らし、ということも考えなければならないのだ。
他にも、避難となった際にどこへ行く必要があるか・車があるとないとでは何が違うか・ペットを飼っていたなら、どう避難をするかなど、色々なことを考えておく。そういった、いわば想像力を働かせるということ。それだけでも十分、防災になると僕は考えている。
ただそれだけ、と思うかもしれないが、それだけでも大きな備えになるのは勿論、起こった時にどう動くべきかは当然現実と想像は大きく異なってくるが、それでも、何も考えなしで行き当たりばったりで動くよりははるかにマシであり、ご自身の頭の中で想像した災害時のロードマップのようなものを頭の片隅に入れておくだけでもいいと、以前自然災害で被災した身だからこそ、それを伝えたいと思う。
もちろん、実際に受けた方に聞いてみるのもいいとは思うが、当然ではあるが、人によっては聞かれたくないようなトラウマ的な体験になっている人も多いため、聞く相手は慎重に選んだ方がいい、とだけはお伝えをしておきたい。
おわりに
最後に、一個人としての災害に対するスタンスをお話して終わりにしたいと思う。
よく、有名人がSNSなどで支援の呼びかけや、支援をしたという記録のスクリーンショットをあげているが、それが強迫観念的にやらなければならない、となって無理をしてやるのは違うと考えている。
個人としては、支援というのは、出来る人が、出来る範囲でやればいいと思っている。
それで無理をして、生活が圧迫されたり、金銭面的な余裕がない方は、しなくてもいいと思う。それが出来る人が、すればいい、というだけだと思う。
ただ、だからといって、それを偽善だ売名だと叩く流れは、また違うし、それを言う暇があれば、1円でも金出せ、とは言いたい(笑)
なので個人の意見の結論として、やらないよりはやる方がカッコいい。ただ、生活が苦しいなら、無理してやる必要はないよ。ということだ。
(まぁ、本来支援というのは国や政府が先導してやるべきなのに、そこを出さねぇんだから、ちゃんとやれ、とは口酸っぱく言いたいし、災害の時に国が頑張らないことを怒るのは、右も左も関係ないと思っている。)
そして、この報道で疲れてしまった人も少なからずいると思う。自分だってそうだった。
その時自分が行ったことは、良くも悪くもかもしれないが、なるべく自分から情報を得るようにはせず、ニュースもSNSも絶ち、何も情報が無い中で、好きなものやことに打ち込んでみたのだ。
そうすることで、少し自分の中でも生きる活力ではないが、少しずつ心が軽くなってきた印象があり、情報を常に拾い集めすぎるのも、時としては良くないと感じた。
なので、個人的な話になって恐縮だが、それと同時に、自分のやるべきこと、のようなもの見えてきた気がしていた。
数日前、こうして自ら情報を断とうと、始めてから10年以上毎日欠かさずにチェックをしていたX(旧Twitter)を、初めて一日も触れなかった。
SNSデトックス、と個人的にこの行為を呼んでいるのだが、そうすることで、いったい自分はこれに何を求めていたのだろうと考えたことや、そもそも、子供はそうやって他者の意見を自分から取りに行こうとしない中で、何故大人がこんなことを必死こいてしているのだろうと考えたのと同時に、虚しい気持ちにすらなった。
なので、この場で宣言するが、今年から僕は、SNSでの発信はなるべく控えると思う。Xでのポストも、強いてどこかのライブへ行くということを言うだけになると考えている。
その時感じたつぶやきのような自分の考えは自身のインスタのストーリーズにポンと載せるが、意見のようなものは、なるべくこの、我が家とも呼べるこのプライベートな環境下で発信をしていきたいと思っている。
最後になりますが、この度の令和6年能登半島地震により亡くなられた方々に、謹んで、お悔やみ申し上げます。また、被災された皆様におかれましても、心よりお見舞い申し上げます。
どうか一日でも早く、温かい場所で、心の底から何も心配せず笑える日々が来ることを、戻ることを、心よりお祈り申し上げます。
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