【その発信をする前に】モラルがあるかどうか考えてみては?
この近年、僕は発信は色々しているが、このブログの名前でもある、NAiSインフォメーション(もちろんナイスのスペルがniceということは知っていますが、とある理由がありこういう造語を使っています。この理由はまたどこかで語れればと思いますが、特に言う必要も無いのでスルーします)、にもあるように、いい情報を発信するように心がけています。
そのため、一言二言で発信出来るSNSでの発信は極力控え、それでも何か言いたいことがあれば、24時間で消えるInstagramのストーリーズにアップしているのですが、昔は、何が24時間で消えるものに発信しなきゃ行けないんじゃと思っていたのですが、今となっては、そうして24時間で消えるからこそ、しょうもない、たいしたことでもないことを発信出来る場として、僕は活用しています。
(さすがにこの場所で、野菜が大きくなって初収穫しました!なんて発信するのは・・・ねえ(笑))
そもそも、僕がこの場でしか基本は発信をしなくなった理由は、一重に、Xがインプレゾンビの巣窟になったということはもちろん、ここにサーバー代やドメイン代を支払っている。かつ、ここは他の誰の意識や意見も入らないし見えない、完全なるプライベートな考えしかない場であるということなど、いろいろ理由はあります。
だからこそ、この場でしかメインで発信をしなくなりました。
一言で言えば、ブロガー。と言えば、それまでのことですが、今やもう使われない言葉になりつつあるのが、正直怖くなっています。
というのも、あのふるカフェ系ハルさんの休日の主人公のハルさんが、ブログをやっていてと言わずに、SNSをやっていて、という文言に変わったことに、否応なしにそう思わざるを得ないというかなんというか、そこ変えんでもええんやない・・・など思っており。
そうして、ある意味SNSを半分やめている身だからこそ、他者の発信の仕方や言葉遣いに加え、なんでそんなこと言うんかなぁ・・・というような言葉も数多くあり、モラルの欠如著しいなオイ・・・と自然に感じるようになってきたのです。
ただ、そうしてそんな簡単に発信出来るメディアから離れたからこそ、僕は少し違和感というか、なんでそんなことを発信出来るんだろう?と、今回のタイトルにもある、モラル的にどうなの?ちょっとおつむてんてんじゃない?思うようなことが増えてきたように感じております。
考えすぎ、と言われればそこまでかもしれませんし、別に誰が見てる見てない関係ないだろうと言われればそこまでなのかもしれません。
そもそも、僕が今回こうして発信していることも、100正しいと思っていませんし、間違っているのかもしれません。
ただ、それでもちょっと何かおかしいと感じているため、自身の思考整理にも近いのですが、それでもこれを見て、ああ自分はこうなっちゃいけないなと、僕のような気持ちに少しでも多くの人がなればいいなと思い、今回、こうして記事として発信しています。
モラルの欠如を感じた発信
こう書く前に、あらかじめお伝えさせていただきますが、モラルの欠如を感じたというものの、人によって感じ方は千差万別なため、あくまで、一人の男が感じた、ということだけは、念頭に置いておいてください。
それを踏まえた上で、ここ最近、大丈夫なのかそんなこと発信して?と感じることが多くなりました。
それは、単純にわかりやすいところでの人種差別や罵詈雑言というのは当然ですが、それ以外でも、おそらく個人的には何も悪いことは言っていないと思っているのかもしれませんが、それでも傍から見たら、まがいなりにもそんなこと言わない方がいいって、と感じることばかりです。
具体的な事例を出すと、某フェスにおいて、とあるアーティストが出演キャンセルになり、代打という形で別のアーティストが出ることになった際、そのアーティストへ苦言を呈する方もいれば、引用ポストという形で、〇〇の代わりに〇〇!嬉しい!というような旨の発信をしている人もいました。
苦言を呈するのは別に個人的に勝手にしていればいいとは思いますが、その代打で出てくれるアーティストに言うなんて、もっての外でしょう。
出てくれるアーティストにも、その話を持ち掛けたアーティスト側にも失礼であり、どのような言葉遣いであっても、ただただ、無礼極まりない行為だと断言させていただきます。
ただ、引用ポストという、相手に通知が行く形で、代わりに出るアーティストを嬉しい、と、文字に起こして発信するのはどうなんだろうか?と僕は思ったのです。
もちろんそんなもの見るこちらにも問題はあるのですが、ただ、いくらなんでもその発信はないというか、仮に嬉しいと思ったとしても、それを発信はせず、するにしても、嬉しい、ではなく、代わりに出てくれてありがとうございます、と発信する方が、誰にも不快感を与えない発信になるのではないかと、僕は思うのです。
そのアーティストが出れなくなって悲しい・辛い気持ちになっている人も多くいる中で、そのアーティストのファンが、その投稿を見たらどう思うのか、というのは言い過ぎですが、ただ、引用ポストという、アカウントを持っている側に必ず通知がいく仕組みでその発信をするのは、さすがに控えるべきでしょう。
また、他にも、とある作品のファンが、こっちは見ているのにこっちは見ていないのはなんでなのかというポストに対し、色々な意見を言う中で、やたらきつい言葉でそのポストに引用ポストをしている人もいました。
その人がどう思おうが自由ですし、そもそもの前提として、誰がどう思おうが知ったこっちゃなく、自分自身がそれを見て楽しんでればそれだけでいい問題だと、僕は思っていますし、正直、別にこんなこと言わんでもいいんじゃない?という気持ちもありましたが、それに対してやたらきつい言葉で意見する人も、わざわざそんな言葉で言わなくたっていいじゃん、とも思っていたのです。
何が言いたいか?
で、ここまで書いて、結局のところ何が今回言いたいのかというと、少し考えて発信してみたらどうだい?ということです。
僕は個人的に、もうXの発信は、つぶやきでもなんでもないと思っていますし、一端のメディアだと思っています。
だからこそ、名前は挙げませんが、そこでうっかりやってしまい、それまでの全てが消えた人だって、実際います。
つまり、自分の人生が終わる可能性さえあるそんな発信媒体を我々は持ち、それを気軽に扱っているのだということです。
とはいえ、そうなる人はごくごく一部でしょうが、ただ、それでも、普通に発信するだけでも、あぁこういう人なんだな、とある程度想像が出来てしまい、当人はそうじゃない・会えば変わるなんて可能性もあるかもしれませんが、そうなることの方が少ないでしょうし、結局のところ、自分自身の頭と心を使って発信されている言葉が、嘘なわけがなく、だからこそそれが、時に身から出た錆になる可能性だって、あるんですよね。
だからこそ、一度立ち止まって考えてみて、その発信は本当にするべきなのか。脊髄で発信していいものなのかどうかというのを、もっとちゃんと吟味するべきではないのかと、僕は思っているんです。
そうでないと、友人であればわかってくれるかもしれませんが、知らない人が見たら、なんだこいつ頭おかしいんじゃねぇのか?と思われかねないですし、誰しもそうは思われたくないじゃないですか。
それならば、頭のいい人に見られたい・賢い人に見られたいというのは、言わずもがなでしょうし、ぺらぺら話している人より、それを聞いている人の方が、人間として大きく見えるはずでしょう。
とはいえ、偉そうに語っていますが、僕だって少し前まではそうでした。かなり脊髄で発信というか、当時のツイートをすることが快楽というか、楽しさを覚え、一日に何度も何度も発信をしていました。
ですが、今はもうそうではなく、逆に頻繁にしなくなったことで、なんでこれを楽しいと思っていたのかという疑問に加え、冷静に俯瞰して色々な人のポストを見れるようになったことで、モラルを感じられない人の投稿を多く見るようになったからこそ、自分の発信の仕方や、モラルって大事だよなということに思い至れたのです。
また、とある曲で、ぺちゃくちゃ話す男って、かっこ悪くないか?という歌詞があり、そこにハッとさせられたのです。
確かに、ぺちゃくちゃあれもこれも話す男より、寡黙な男の方が、傍から見た時にはかっこいいと思われるんじゃなかろうか・・・と。
もちろん時と場によりますし、現実の場では、ぺらぺら話す人がモテる場というのもあるかもしれませんが、とはいえ、ネットであれもこれもぺちゃくちゃ話すのなんて、正直みっともないよなぁというのは、誰しもわかっていただけるのではないかと思います。
ただ、このブログこそぺちゃくちゃ話しているかと言われればそこまでかもしれませんが、ただ、このブログはそれぞれの記事ごとに書いている内容が異なり、レビューもあればライブレポートもあれば、今回のような独白もあります・・・(笑)
ですが、上記2つは、ぺちゃくちゃ話していると誰も思わないでしょうし、かつ、ブログという場は、あくまで僕個人の感覚ですが、ぺちゃくちゃ話している場ではない印象を受けるのです。
それについて、どう言葉で言い表すのが正解かはわかりませんが、ただ、僕の考え方としては、こうです。
文字数の制限がないからこそ、いくらでも書ける。けれども、その気持ちのままただ長ったらしく想いを書くだけでは、整合性がなく、読みずらい文章になる。だからこそ、一回見ただけで相手に想いや意図、考え方が伝わるように書くために、推敲をし、起承転結を意識して書くからこそ、ブログはぺちゃくちゃ話しているようには見えないと、僕は考えています。
と、少し話が逸れましたが、ここでの結論は、一度立ち止まって考えてみて、その発信は本当にするべきなのかということを、投稿するボタンを押す前に考えてほしい、ということを伝えたかったんです。
おわりに・なぜこんな発信をしたのか
今回の記事ではこのような投稿をしましたが、そもそも、なんでこういうことを書いたのかというと、結論から言うと、自己整理が最大の要因です。
昨今、自らSNSへの投稿は控えるようになったからこそ、知らない人でなく、有名人、ひいては、顔も喋り方も知っている友人のポストすらも、どこか違う視点から見ており、それらを見ていると、なんでこんな発信しちゃうんかなぁ・・・となることが多く、一重に人間的に大丈夫なんだろうか?と不安になったのです。
もちろん余計なお世話と言われればそこまでですが。
ただ、ぶっちゃけた話をすれば、本来そんなこと、必要なんてないんですよね。
それよりもむしろ、余計な発信をしてしまうことで、品性が疑われるだけでなく、その発信をすることに慣れることで、自分の品性がいつの間にか落ちていってしまう可能性だって、あると思うのです。
だからこそ、そういう人間にならないためにも、こうした方がいいんじゃないのかなあ。という想いをここ数カ月ずっと抱えており、その想いを今回、整理したいと思い、こうして認めました。
正直、今回の記事は、とりとめもなく書いていますが、もしこれが、誰かの考え方をチェンジする一助になれば、是幸いです。
それでは。



















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