今自分達はもう、チバユウスケのいない世界を生きている

今年、多くのミュージシャンの訃報があった。もう、挙げていけばキリがないというか、挙げていけば挙げていくほど、悲しくなっていく。そのくらい、今年は多かった。

 

鮎川誠、高橋幸宏、黒田隼之介、恒岡章、坂本龍一、黒崎真音、谷村新司、櫻井敦司、もんたよしのり、HEATH・KAN・・・

ここに挙げたのもほんの一部なのだが、正直、一部なんて書きたくないほどだし、事実だとはいえ、それにしたって今年は多すぎた。

 

ミュージシャンでなくても、漫画界からは松本零士先生も亡くなり、俳優界隈でも数多くの方が逝去された。個人的にだが、帰ってきたウルトラマンの郷秀樹を演じられていた団時朗氏の訃報は、より心に辛いものがあった。

 

そんな中で、年の瀬の最後の最後に、個人的に1番聞きたくない、訃報が入ってきた。

 

 

チバユウスケが、亡くなった。

 

正直、文字にして打っていても、あまりにも現実味がない。
いつか誰にでもその日は来るのはわかっているけれど、にしたって、早すぎる。もっと長く生きると思っていた、ではないが、そうそう簡単にこの人は死にはしない。根拠なんて全くないのだが、確信があった。それは、誰もがそう思っていたはずだ。

しかし、そんな理由もない自信ある期待を、いとも容易く粉々に打ち砕くような、最悪の出来事が起きてしまった。

 

辛すぎて、チバユウスケが好きだったビールを飲みながらではあるが、このブログを書いてる。この思いは、自分のメディアでしか書けない。SEOだなんだなんて、今は知ったこっちゃない。

 

元々、チバユウスケが食道がんだというのは春に発表されたため、ロックファンからすれば既に周知の事実だった。

そのため、現在のチバユウスケのメインであるバンドの、The Birthdayのライブについて、当時一番先のライブの予定であった、11月に行われるはずだったNothing’s Carved In Stoneとのツーマンライブまでのライブの予定が全てキャンセルになったのも知っていたし、本来1日目のトリを務める予定だったアラバキロックフェスにて、ELLEGARDENがThe Birthdayの涙がこぼれそうをカバーしていたのも知っていた。

そのライブの中で、ELLEGARDENの細美武士は、「チバさん皆待ってるぞー!」と叫んだが、まさかそれが、永遠に叶わなくなるなんて、誰も思わなかった。

 

個人的な話になるが、自分がチバユウスケを知ったのは、The Birthdayからだった。
そのため、それ以前のチバユウスケが在籍していたバンドについては、既に動きを止めていたため、ライブを見たのはThe Birthdayがスタートであった。
ただ、他のプロジェクトなどでは見ていなかったため、自分の中ではチバユウスケは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのボーカルでもROSSOのボーカルでもなく、The Birthdayのボーカル、なのだ。

 

GG11・DEVILOCK NIGHT THE FINAL・渋谷クアトロ25周年企画〈QUATTRO QUARTER〉【QUATTORO BURNING】のKen Yokoyama×The Birthday・信州・チノの乱
(チノの乱については、当時レポートとして書いたものがある。4年前の文書だからか、今もだが、それよりも下手くそではあるが、もしよければ以下のリンクより読んでいただければ幸いだ。)

信州・チノの乱 BRAHMAN×Ken Yokoyama×The Birthday レポート

 

自分は生で見れたのはたったの4回だったけれど、いつだってThe Birthdayはカッコよかったし、チバユウスケは紛れもなく、ロックスターだった。どこにもいない、オンリーワンの存在だった。

生き方や食べ方、飲み方からタバコの吸い方を真似たとしても、真似が出来ない唯一無二の声、そこに居るだけで強烈な存在感を誇るが、それを故意に、でなく、自然と行うあのカリスマ性。その両方を兼ね備えてオンステージするあの姿は、天性の才能としか言えない。

加えて、人物的な面でも、ビールとタバコを愛する姿や、携帯を持たない等、漫画から出てきたような存在。いや、もう存在そのものが、フィクションという想像の虚構を凌駕し、誰も思い付かない・追い付けない・辿り着けない。そんな場所にいるバンドマン。
カタカナ6文字並んでいるのを見るだけで、電撃が走るような名前を持つ男。それがチバユウスケだった。

 

日本の宝だ、なんて陳腐な言葉なのは承知しているが、それでもチバユウスケを、チバさんを称するなら、こうとしか言えない。

 

間違いなく、チバさんは日本のロックシーンの宝だった。

 

90年代に突如として現れ、以降のロックシーンに多大な影響を与え、多くのフォロワーを産んだ。それでも尚、大きな会場も小さいライブハウスも回って、常に変わらないスタンスでライブをしていた。圧倒的なカリスマ性がありながら、チバさんは常に、バンドマン、だった。

それ故に、55歳でこの世を去るなんて、あまりにも、あまりにも、早すぎる。

もっとライブを見ておけばよかった、なんて後の祭りだが、とはいえ自分は、ライブを見たのは間違いないし、1本1本に思い出はあるし、何よりも10年以上、The Birthdayを追えていたから、幸運だった。
過去の人、ではなく、現在進行形でかっこよくなり続けているバンドのファンでいれたことを、幸運に思う。

 

ただ、そう思わないとやっていられないのも、事実だ。

正直、今も、だが、今年、これほどまでに多くのミュージシャン・アーティストが亡くなった年は、あまり無かっただろう。
漫画や音楽、という、一コンテンツ・ジャンルを通り越し、日本の文化的アイコンとも言える、坂本龍一・松本零士という著名な方が立て続けに亡くなっただけでなく、ドミノ倒しが如く、色々な方が立て続けに亡くなった今年は、ハッキリ言うが、最悪の年だ。それ以上、今年を説明する言葉はない。

 

そんな中で、また一人、この世から旅立つなんてダメだ、まだいてくれ。そう思う人が、また一人、去ってしまって、もうこの世には家族が持っている遺骨しかなく、この世界どこを探したって、もういないのだと思うと、辛すぎる。
この情報を見てから今まで、僕はずっと、暗澹たる思いのままでいる。おそらく、まだしばらく、引きずるのだろう。

前を向くことは、どこかでするとは思うが、現状は今しばらく、この、寂しさと悔しさとやるせなさや悲しさ。色々なマイナスの感情が心に去来しながら過ごすことになるが、今はこのままでいたいと思う。

 

最後に、この5月、VIVA LA ROCK2023というフェスに参加した際、自分は完治を願い、The BirthdayのTシャツを着ていった。
周りには、The BirthdayのTシャツを着てる人なんて1人もいなかったけれど、逆にそれが自慢というか、誇りになっていた気がしていた。

 

でも、これからはもう、完治の意味でも、応援の意味でも、着ることは出来ない。

ここから先は、着ていたとしても、追悼や、止まってもなおこのバンドのファンでいるという、決意表明にしかならないだろう。

それでも自分は、これから先も、何かしらの機会に、The BirthdayのTシャツを着るとは思う。
きっとその時は、ウキウキで、前向きな気持ちで着ることはないとは思うが、それでも自分の中での何かしらの大切な時には、チバさんが人生で1番長くやっていたバンドのTシャツを、連れていこうと思う。

 

Rest In Peace, Thank you Legend Rock Star.

音楽

Posted by naishybrid