映画【SUNRISE TO SUNSET】レビュー

2024年1月13日

この映画は、完全にネタバレ全開のレビューとなるため、まだ見ていない、という方は、鑑賞後に再度このブログに訪問していただければ幸いだ。

だからこそ、ではないが、書いている筆者は、どういうやつなのかも伝えなければ、P.T.P.Babyzの信頼に繋がらないと勝手に思っているため、映画のレビューに入る前に、少しだけ昔話をさせてほしい。
おそらく、これがPay money To my Painというバンドの、何かしらの表現を公式で発表する、最後の機会になると感じているため、こうでもしなければ書く機会がないと思い、少しだけお付き合いいただけると幸いだ。

その後に、この映画の感想を書いていければと思っている。
(尚、本文では全て敬称略とさせていただきますので、ご理解いただけますと幸いです。)

筆者はどうPTPのファンになったのか

まず、前提として、筆者は四半世紀に渡り、ウルトラマンシリーズのファンだ。

それを踏まえて、なのだが、16年前の2007年、ウルトラマンシリーズの当時最新作である『ULTRASEVEN X』の放送が始まった。

ウルトラマンシリーズ初の深夜枠での放送となった本作なのだが、長野県ではそんな深夜帯の作品が放送されるわけがなく、もう時効と思っていただきたいが、当時TVerなどもなかったため、海賊版として上がっていた動画サイトにて、1話をワクワクして見た。

それまでのウルトラマンシリーズになかったスタイリッシュなアクションと、未来感がありつつも、どこかダークでSFテイスト溢れる世界観。ムッキムキの体をしたウルトラセブンXと、見所満載で、これは他のシリーズとは違う、と一瞬にして思わされた。

 

そしてエンディングに入ったと同時に、これまでのどのウルトラマン作品とも違ったテイストのエンディングが流れ出した。

当時、ウルトラマンでもロックがオープニング、ないしはエンディングで使われることがあったが、そのどれとも違う、全てが英語詞で、かつ今までに聞いたことがないほどの激しいサウンド。

誰が歌っているのだろうと思い、エンディングテーマのアーティストを見ると、こう書いてあった。

 

Another day comes/Pay money To my Pain、と。

 

これが、筆者のPTPとの出会いだ。

なので、耳の早いライブハウス通いの人の次に、PTPを知った集団というのは、意外にも特撮ヒーローオタクなのだ。これは自分がウルトラマン、ひいては日本の特撮ファンだからこそ、そう確信していることだ。
(ちなみに未だにウルトラマンのヒーローショーでは時折使われてもいたりするという。)

 

それがキッカケで、その後もPTPを追い、音源を聴き、そしてライブにも足を運んで・・・となったら、良い話になるだろう。

だが、現実は違う。

これは、実は誰にも言ってなかったことで、墓場まで持っていこうかと思ったが、こんなタイミングなので、全てを告白したいと思う。

 

 

僕はPay money To my Painが、というより、K、という人間が、苦手だった。

 

 

何故そうなったのか、その理由はハッキリある。

 

それを持っている人は見てもらえればと思うのだが、Pay money To my Painが以前出したコンプリートボックスの中に、10 Performanceという、色々なメディアで流れたライブ映像をまとめた物があるが、その中に『2010.12.15 “House of chaos 2 ~The Bleeding high~" 代官山 UNIT』という、当時スペースシャワーTVで放送されていた、モンスターロックという番組にて、この模様が放送されていた。


 

そして放送されたその時、リアルタイムで自分も見ていたのだ。

と同時に、これが自分とPTPの関係の中で、運命を変えてしまった。

 

当時、ULTRASEVEN Xの主題歌歌ってたバンドだ、程度の認識や知見しかなかった自分は、何の気なしに、たまたま知ってるから、という理由だけで見ていた。

この放送にはライブだけでなく、Kのインタビューもあるのだが、その当時、自分はPay money To my Pain、というバンドの名前は知っていたが、Kという人物のことは全く知らなかった。

 

本当はそんな人間ではないというのを、今となってはわかるのだが、喋り方や話し方を見聞きして、Kという人物のことを何も知らなかった10代の自分は当時、偉そうでチャラそうで、上から目線な喋り方をしている。おまけにアメリカに住んでいるという話も、凄い、と思わず、いやいや、お前どうせそんな苦労なんてしてないんだろ?ボンボンとかなんじゃねぇの?という印象を持ってしまったのだ。

いやいや、Kさんはそんなヤツじゃないよ。そう指摘してくれる音楽の友達も周りにいなかった自分は、その第一印象だけを持ってしまい、それが変わることも、変えることも、変えてもらうこともなく、あまり追うことをしないうちに、Kはこの世を去った。

その発表が2013年の年初にあり、その時のことをよく覚えているし、大学生だった当時、友人に少しだけPTPを知っている友人がおり、慌ててその友人に連絡をかけたことを覚えている。

 

そしてその年の年末、2013年12月30日に、Pay money To my Painは、念願であったZepp Tokyoでのワンマンライブ『From here to somewhere』を持って、活動を終了した。

実はこの時も、僕はそこまで聞いているわけではなかったが、このライブは当時、YouTubeにて全編無料配信がされたが、そのライブに非常に感動したのもそうだが、ギターのPABLOが、全ての演奏を終了した後、PTPのライブでのメインギターであった、dragonflyのRED DEVILを機材に叩き付け、その衝撃で火花が上がっていた。
その様を見て、ファンでなかった自分も、あっ、これでPTPは、終わりなんだ。そう素直に思った。

 

それと同時に、ようやく聞こうと思い立った。
なので、自分がPay money To my Painというバンドの音楽にしっかり触れたのは、その後からだったのだ。

 

つまり僕は、PTPをかなり早い段階から知っていたにも関わらず、とある一件で偏見を持ってしまい、聞かず嫌いを患い、Kが亡くなった報道もリアルタイムで体感し、活動終了のライブをリアルタイムで配信で見ていて、その後になってようやく聞こうと決めた、後追いの中でもかなり特殊な後追いだと自負している。

 

そうしてその後になって、ようやく聞き始め・・・後悔をした。

Pay money To my Pain=俺の痛みに金を払え、とあるように、人の心の弱い部分を直情的に表現する歌詞と、時に叫び、時に優しく歌うKの歌声。
加えて、聞いていくにつれて、色々な過去のインタビューを漁っていくうちに、どうしてあんなたった一回ぽっきりのインタビューで見限ってしまったんだろうかと、後悔をした。本当に、何度したかわからない。

特に2014年、若干ではあるが、うつに近い状態に自分がなってしまったからこそ、PTPの曲がより心に響き、何度曲を聞いて涙を流したかわからないほど、本当に遅くなったが、僕はPay money To my Painのファンになった。

 

と、かなり前置きが長くなったが、今回の映画について、ようやくレビューをしていきたい。

本映画のレビュー

SUNRISE TO SUNSET。直訳すると、日の出から日の入りまで、となる。

 

言わずもがなかもしれないが、この日、つまり太陽をPTPそのものに例え、Pay money To my Painというバンドの始まりから終わりまでを描いた本作は、現状、いやおそらくあれが最後だと今となっては確信しているのだが、最後のライブになったBLARE FEST2020のライブが始まる前のフロアを映すという、意外な形でのスタートをすることになった。

言葉でどうあの空気感を表現すればいいか難しいのだが、興奮や感動、悲しみ、希望。人間の喜怒哀楽の全ての感情が入り混じった空気感は、映像からもひしひしと伝わってきており、PTP!PTP!と自然発生的に生まれたコールは、その感情の高まりが故に生まれたものだが、あの時にはあれが必然だったのだろう。

 

ただ、僕としてはその映像を見た瞬間、Hi-STANDARDのAIR JAM 2011のライブ映像を思い出した。
P.T.P.Babyzには周知の事実だが、Pay money To my Painも、その11年ぶりの復活となったAIR JAM 2011に出演していた。

 

このBLARE FESTのライブは、もう既に何年も前なのでセットリストも出ているため隠す必要もないため言うが、この日の最後の曲は、ライブではお馴染みのThis lifeだった。

その時スクリーンに流れていた映像も、奇しくも同じ、AIR JAM 2011の、横浜スタジアムでのThis lifeの映像だったため、そういった色々なものが重なり、涙腺により響き、何度涙をハンカチで拭いたかわからないのだが、それは一旦置いておこう。

 

そんな始まりから、ギターのPABLOとベースのT$UYO$HIの2人からPay money To my Painは始まったと話していく。

当時、PABLOはGIRAFFE、T$UYO$HIはdrug store cowboyのメンバーとしてデビューをしようとしていた中で出会い、話すうちにまだいける。といったニュアンスの話をする中で、2人で新しいバンドを始めようと話し出した。

その後T$UYO$HIが、当時GUN DOGのボーカルであったKを見つけ、その後ギターに、元メンバーであり、現在はGReeeeNのプロデューサーとしても有名であるJINを加え、今は無き高崎CLUB FLEEZで初ライブを行った。
そしてそのライブ後に、ドラムのZAXを迎えたという、Pay money To my Painというバンドがこの世に生まれた最初の瞬間を、当事者の目線から語っていく姿に加えて、その初ライブの音源も流れるのだが、20年前のライブ音源が現存していることにも驚きだが、既に完成されていることも驚きだったのだが、それもそうだろう。

何しろ、メンバーは最初はZAXはいなかったものの、5人中3人がデビューをする・しようとしていたバンドのメンバーという、いわば、強くてニューゲーム、とまではいかないかもしれないが、ある程度の経験値。それは、プレイだけでなく、音楽業界という、ビジネス構造面でもある程度の知識をつけている状態でスタートしているバンドなため、最初から上手くて必然というか、逆に下手ならおかしいのだが。

故に、あの完成度に納得しつつも、とはいえ、もうすでにデビューを控えているバンドのボーカルを迎えようというのは難しい。しかしバンドに絶対迎え入れたいと、まずは友達から、というスタートで、KをPay money To my Painというバンドへ入れようと、あの手この手を使って画策するT$UYO$HIの行動は、一重に愛、としか言えない。

それが実を結び、Pay money To my PainにKは入ることになったのだから、その時T$UYO$HIが必死に行動していなければ、Pay money To my Painはおろか、後で書くのだが、ラウドロックシーンも、ラウドロックという言葉も、間違いなく生まれていなかったはずだ。

 

また、メンバーに加え、Pay money To my Painが所属していたレーベル、VAPの音楽プロデューサーである、Kentaro Tanakaも、直接のメンバーではないが、プロデューサーという、第5第6のメンバーと呼ばれる目線からの言葉も語られ、当時GUN DOGのプロデューサーからPTPのプロデューサーになり、よーしここからやっていくぞ!と思っていた矢先に、Kがアメリカへ移住すると言い出した。
たったの数ワードだけだが、始まりからいきなり二転三転、波乱万丈なバンド活動のスタートとなった話は、引く、を通り越して、自分は思わず笑ってしまった。

 

そうしてアメリカでKが移住する際、空中分解を防ぐためにも、バンドとして何かしらの作品を作ろうとして生まれた、デビュー作であるDrop of INKから、それ以降世に出していった作品の製作話についても、主にはPABLOとT$UYO$HIの視点から語られるため、セルフライナーノーツ的に各作品のことを聞けるため、一枚でも好きな作品があれば、それだけでも見ることをオススメしたい。

加えて、世に公開されているMVの未公開シーンだけでなく、意外な裏話も多数あり、特に、アメリカでのPV撮影となったOut of my handsには、そんなことが!?と思う驚きの裏話があり、実際そのシーン、というよりも、"音声"が入っており、こんな壮大な映像の裏にこんなことがあったなんて・・・と、いい意味でPVを見る目が変わること間違いなしだ。

 

そんな中で、ギターのJINの脱退についても当然触れ、かつ、それは本人の口から理由を語っていた。その理由は詳細を省くが、大まかに言うと、方向性の違い、というやつだ。

ただ、そこにはJINなりの愛情が多く含まれており、決して不仲になったやメンバーが嫌いになった、他にやりたいことが出来た、ではなく、PTPを、というより、Kという人間を深く知っているからこその、方向性の違いが生まれてしまい、結果脱退することになったが、その感情は、紛れもなく、愛であり、リスペクトが多分に含まれた、方向性の違いだと言える。

 

そうして4人で進み始めたPTPの周りに仲間が出来始め、交友関係ある一部のバンドマンからのコメントインタビューも途中で挟まることになる。
コメントを寄せたメンバーについては

 

・JESSE(RIZE/The BONEZ)
・Kj(Dragon Ash/The Ravens)
・Masato(coldrain)
・Taka(ONE OK ROCK)
・Hiro(MY FIRST STORY)
・Koie/Teru(Crossfaith)
・Hiro/Kazuki(SHADOWS ex.FACT)

 

このメンバーに加え、後に葉月(lynch.)もコメントインタビューに参加するが、葉月のインタビューはアルバムgene以降でのインタビューとなったため、上記の方々とはやや異なるため、一旦別枠とさせていただく。

このメンバーのインタビューがそれぞれの目線と出会いの部分から語られるが、個人的には、だが、SHADOWSのHiroとKazukiが、久しぶりに、FACT、としての2人の目線と視点でのコメントを語っている所が、嬉しくもあった。

 

実はこの作品の中で、【ラウドロック】、と今では当たり前になったジャンルについて、誕生の経緯とも呼べるパートがあり、このラウドロックというワードは、とある人物が生み出した造語だというのが明らかになった。

ニューメタルやヘヴィメタルのサウンド要素はありつつも、だからと言ってそこに括ろうとしても、ややしっくりこない。ならばパンクかと言われれば、そこも違う。
じゃあPTPのジャンルって何なんだろう、と疑問に思った時に生まれたワードが、今やもう当たり前となった、ラウドロック、というワードだった。

今となっては当たり前にあるが、確かに2000年代後半、このようなメタルテイストなサウンドに全編英語詞のサウンドのバンドというのは、日本ではあまりいなかった。
勿論、決して0だったというわけではなく、THE MAD CAPSULE MARKETSやマキシマム ザ ホルモン、それこそこうしてインタビューに出ていたDragon AshやRIZEもそういったサウンドを鳴らしていたものの、とはいえ、PTPのようなサウンドのバンドは、当時後にも先にも、あまりいなかった。

 

そうしたラウドロックシーンの創成期のタイミングで、PTPとほぼ同時期に現れ、現在のラウドロックシーンの礎を作り上げたと言っても過言ではない、ラウドロックの間口を大きく広げたバンドは、間違いなくFACTだと思っている。

FACTの音像についての詳細は今回は省略させていただくが、事実、SiMのボーカルであるMAHは、FACTが解散を発表した当時、こうツイートしていた。

 

 

そうした意味でも、日本にラウドロックを広めたバンド、というのは間違いなく、FACTとPay money To my Painだったはずだ。

事実、この2バンドはAIR JAM 2011に共に出演していることだけでなく、FACTのライブにKが飛び入りして歌ったこともあり、親交もあったため、仲間意識もあったはずだ。
(ちなみに今回の映画のパンフレットの中にはPTPの過去の写真もあるが、その中でKがFACTのパーカーを着ている写真もある。)

 

ただ、この2バンドが唯一、大きく違った点があることとして、今回の映画でもPTPのメンバーが度々口にしているのだが、PTPは海外でやる機会が無かった、という。
映画でその映像が流れているのだが、海外・アメリカでのライブも、結成当初にSoupと地元のバンドで回った2公演しかなかった。
それ故に、この映画でメンバー3人は、海外でやりたかったという悔しさを滲ませており、そうした、日本のロックが当時海外ではあまり受け入れられていなかった、という時代背景もあったことを、この映画は証明している。

一方、FACTは日本のバンドが海外でライブをするというのがまだ物珍しかった頃から、積極的に海外でライブをしていた。同じジャンルに属していながらも、両者にはこのような違いがある。

 

だからこそなのかはわからないが、唯一、2012年、PTPの活動最後の年に言及をしていたのは、メンバーとプロデューサーのKentaro Tanaka以外では、HiroとKazukiだけだった。

その2012年、PTPが全曲ライブを行い、数々のライブに出演をした後、Kは体調不良を患い、入退院を繰り返すようになり、秋から行われる予定だったツアーも、ツアー初日に公演キャンセルとなり、結果ツアーそのものがキャンセルすることになった。

入退院を繰り返した、というように、精神的な疾患も患っているからか、抗うつ薬を飲むようになってからのKについて、唯一Kazukiが語っており、第3者からの視点で語られるKの様子に胸を締め付けられ、そして、その後最後に会ったT$UYO$HIのKとの会話。その全てが儚く、こんな言い方をするとチープに聞こえるかもしれないが、最後までの時間が全て、ドラマチックに聞こえてしまうのだ。

 

そして、2012年12月30日、Kは31歳という、あまりにも早すぎる年齢で、この世を去った。

 

その直後のメンバーのその時の様子を3人の時系列で語り、その後に発表したアルバムであるgeneをどう完成させるかという話に加え、ゲストボーカルとして参加したTaka・Koie・Teru・Masato・葉月からのインタビュー。
(何故JESSEもいるのにJESSEのその曲へのインタビューがなかったのかは見終えた後でも謎なのだが・・・)

そして、その後の活動について、活動は不可能と判断し、その意志の下に行われた、先程も少し触れたZepp Tokyoのワンマンライブにて、彼らの活動は終了を迎えた。

この時、ZAXが言った、皆の心にぽっかり空いた穴。それがKなんだと思うんだけど、これは埋めなくいていい。この穴が、Kそのものだから。その言葉に救われたわけではないが、それでも、この穴と共に生きていこう。そう思ったP.T.P.Babyzは、何人いたことだろうか。

 

その後、そのライブを終え、Pay money To my Painとしての活動にピリオドを付けた後のメンバーが何を考えていたのか。何を支えにしていたのか。あの日々を過ごした結果、バンドマンとしてもそうだが、一ミュージシャンとして何が出来るのかを考え、動いていった様は、正解がないからこそ、それぞれの回答があった。

少なくとも、一ファンだからこそ言いたいのだが、皆さんが鳴らしていた音は、多くの人を元気づけ、楽しい気持ちにさせ、音楽って、バンドっていいな。間違いなく、そう思わせてくれたと、一ファンを代表して言いたい。

特に自分は、後追いだったからこそ、元Pay money To my Painのメンバーの~、という触れ込みがあるバンドを、PTPが動いている時よりも多くライブを見ていた。
中でもThe BONEZについては、これは胸を張って言うが、一番好きなバンドであり、故にそのThe BONEZへの想いも口にしていたのが、一The BONEZのファン・BONERだからこそ、より涙腺に来たのだが、これはBONERならば、全員同じ意見になっているはず。

 

そしてその6年後、2019年12月6日に話は一気に飛び、予想外の映像から、BLARE FESTへの話に入っていく。
この映像については是非劇場で見てもらえればと思うが、正直、えっ?と思ってしまった。
何しろ、あれは公式の映像ではない。結論から言うと、アマチュアの映像だ。

しかし、あの興奮はわかる、と見ながら自分も素直に思ってしまった。

あの日のことを自分も覚えているのだが、ちょうどオフィスで仕事中だったのだが、幸いなことに誰もオフィスにはいなかった。故に、BLARE FESTの最終出演アーティスト誰だろうと思い、当時のTwitterで、その動画を見始め、まずONE OK ROCKが来て、まぁcoldrainだから、そりゃあ来なきゃおかしいですよね~、なんて思っていたら、Pay money To my Pain、とその後に発表され、全く思ってもみなかったバンドがアナウンスされ、えっ?となって、理解が全く追い付かなかったことを覚えているし、ファンの方にはとても申し訳ないのだが、その後に発表された海外のバンドであるWe Came As Romansが全く何も入ってこなかったことも覚えている。

 

そんなBLARE FESTにどうしてPTPを呼んだのかを、主催者であるcoldrainのMasatoから、どうしてPTPを呼ぼうとしたのかについての理由が事細かに語られ、当初は一方的な使命感であったかもしれないが、その使命感が、動くはずがなかった大きな岩を動かすことになったため、Masatoには感謝しかない。

対して、PTPのメンバーは、やるやらないの判断に非常に時間が掛かっており、1年ほど前にオファーを受けたそうだが、本当に出ると決めたのは、その発表の1か月前という、かなりギリギリになり、かつ、何をどうやるかというのもかなり直前になって決まったという、意外な裏話も多く飛び出すことになった。

 

そして今回の映画の最大の目玉である、初となるBLARE FEST2020のフルパフォーマンスがノンストップで始まるのだが、このライブについては、既に多くのメディアでも取り上げられていることや、セットリストも公開をされていること。加えて、一曲目のResurrectionのライブ映像も、YouTubeに上がっているため、多くをこの場で紹介する必要はないのだが、あえて2つだけピックアップさせてもらいたい。

 

2曲目のWeight of my prideで、MAHはKのシャウトで歌い続けるパートの後に、いつの間にか、K君より歳取っちまったよ!と叫んだ。

自分のことで恐縮だが、Kが亡くなった年齢に、近くなってきた。学年で言えば、もう同い年になる。

それだけの時間が経ったのかと驚くと同時に、自分は何が出来ているんだろうか?と、見終わった後、一人焦っていた。これはおそらく、年齢が近くなった人や、いつの間にかKよりも年齢を取ってしまった人なら、同じような気持ちになるだろう。

勿論そんな意味ではないのだが、自分はこのライブを見て、この言葉を聞いて、改めてもっと頑張らねばならないと、一人襟を正した。

 

そしてもう一つ。全てのゲストボーカルのパートが終わった後、Kの映像が出る前の、フロアからのガヤ、とここではあえて呼ぶが、映像が出る直前の、誰が言ったかわからない、Kいんなら返事しろよ!という言葉の後に、タイミングを図ったかのようにKの映像が出てきたあのシーン。

ライブもドラマチックだったが、まるでその呼びかけに応えるかのようにKの映像が流れ出したその瞬間に感動し、その後のRainでは、今日この日で何度目かわからない涙を流していた。

 

そうしたライブの終了後、公式Webサイトでも予告編でも度々言われていた、Pay money To my Painが遺したものとは?という問いに対する、それぞれのアンサーが展開される。
PTPのメンバーだけでなく、今回コメントを寄せたバンドの仲間たちも、PTPが遺したものとは?というアンサーにそれぞれ答えていくが、やはり何と言っても、そのコメントの最後を務め、同時に、Pay money To my Painの最後の場を作った、coldrain・Masatoの言葉。あれが全てだと思っている。

 

決して売れたわけではないが、聞いた人の、刺さった人の人生を変えた。そんなバンド。

 

その言葉の後、最後にあんな風に、Masatoが泣くというシーンは、ライブでは見たことがなかった。

それは、自身もPTPのファンであり、まさに自分がその一人だったからこそ、あのような言葉が出てきたのだろうと。

 

そんな最後に、Giftが流れ出すのだが、実は個人的になのだが、僕はPTPをちゃんと聞くようになってから一番好きになった曲が、Giftだった。

まるで羽が生えて、どこまでも飛んでいくような解放感もあって、けれどどこか少し悲しみもある。そんなメロディーと歌詞がとても好きで、最後の最後にそれを流されて、またもや涙腺が崩壊したと同時に、彼らが生きた、5623日という日々に感謝しかなく、動いてくれて、出会わせてくれてありがとう。そんな気持ちになった。

 

まとめ

大分長くなったため、そろそろまとめに入りたいのだが、今回この映画を見て思ったのは、Pay money To my Painが遺したものは、ということや、PTPが色々な人から愛されていたということに加え、もう一つ思ったこととして、coldrainが、どうしてこんなにも、ラウドロック、という言葉にこだわっているかだった。

 

先にも紹介したが、この映画では、ラウドロックという言葉が生まれた理由も登場してくる。
当時はPTPを当てはめるワードとして生まれた言葉だが、今やもう、10年以上が経ち、ロックにジャンル数あれど、その中の一つに、ラウドロックというジャンルも既に確立された。

そうなると、必然かもしれないが、誰がラウドロックのスタートか、なんてわからなくなってくる人だって出てくるのは当たり前だ。

しかし、この映画で、ラウドロック、と呼ばれた最初のバンドが、PTPだとかなりはっきり明言化された。

 

そして、その現在進行形の日本のラウドロックの最先端に居続けるのは、紛れもなくcoldrainだろう。

 

この映画で、PTPの音楽はメンバーが鳴らすだけでなく、ファンもいることで、PTPの音楽は生き続けると言った。ともするならば、Pay money To my Painの魂を今も生き続けさせるためにも、coldrainはずっと、ラウドロックというワードにこだわっているのではないかと、僕はそう思ったのだ。

ともすると、PTPを復活させるこの役目は、紛れもなく、ラウドロックバンドと声を大にして言い続けてきた、coldrainにしか出来なかったと言える。
SiMでもMY FIRST STORYでもなければ、ONE OK ROCKでもRIZEでもない。coldrainにしか、出来なかったはずだと、映画を見たら間違いなくそう思えるはずだ。

 

最後に、この映画の公開日、こんなことがあったんだよと、後世に残しておくためにも、ここも記しておきたい。

最後のアルバムとなったgeneの最後の曲、Rain。それに合わせるかのように、この日、全国的に雨予報になった。

午前中、時に雨脚が強くなったが、午後はそれが嘘のように青空が出ていた。The rain has stopped、と歌詞にあるように、綺麗に晴れたのだ。
しかも、昨日も翌日も晴れなのに、この日だけがピンポイントで、雨だったのだ。

ただの天気、と言えばそこまでなのだろうが、こんな公開のその日に合わせて雨を降らせるなんて、絶対Kの仕業だろ、とP.T.P.Babyz皆思ったはずだ。

 

ただ、こんな雨の日にこの映画を見て、映画館を出てきた後に見上げた青空と太陽は、とてもとても、キレイであり、何か一つ、終わりを迎えた気がした。
けれど、決して悲しくない、前向きな、少しだけのお別れ。

でも、多くの人の中で、これからも生き続けていく。そんな、伝説のバンドで、今も生きている、最初のラウドロックバンド。

この話の続きはまた、2116年12月6日に行われる別の世界のフリーライブで。その時まで、しばらくのお別れを、この映画でようやく、多くの人が言えた。

またね、Pay money To my Pain。

音楽

Posted by naishybrid