藤田孝典さんの記事を読んで感じたことは、生活が不安定な方に手を差し伸べなければならないということ

昨日起こった川崎での殺傷事件。

とても痛ましいニュースであり、今は被害者の方々が少しでも心が休まりますよう、切に願っております。

そんな最中、昨日生活保護や生活困窮者支援の在り方に関する活動と提言を行うNPO法人ほっとプラス代表理事である藤田孝典さんが、Yahoo!にこのような記事を掲載されていました。

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

 

この記事がかなりの賛否両論を巻き起こし炎上しているのですが・・・これはもう、僕が鈍感なのかもしれないのですが、なぜこれが炎上してるんだ?と疑問に思うのです。

まず、この記事を非難している方々のコメントとして多く見受けられるのが「犯人を庇うな」という意見です。

何度か頭を冷静にし、一から読んでみましたが、まず記事内には犯人を庇うような趣旨の文面は一切ありません。
その点でまず、犯人を庇うな!と言っている方々は、少し冷静になり、今一度この記事をしっかり読んでいただきたいな。と感じます。

 

では、この記事で言いたいことは何なのか、というと

『死にたいなら一人で死ぬべきという言葉は強い言葉であり、それを見て犯罪を起こす人がいるかもしれないので控えてほしい』

ということなのです。

 

僕の話になりますが、数年前まで就活や仕事などが影響し、精神的にとても辛く、苦しい状況が続いており、それと比例して自殺願望もどんどん膨らんでいきました。

その当時は割と毎日頭の中で死にたい・・・と考えることが多くあり、今も思い返すと本当にあの頃はそういう事ばかり思っていて毎日辛かった・・・としか感じてないです。

その当時のことを思い返して書いた記事を以前書いたので、こちらも読んでいただければ幸いです。

治すんじゃなくて、忘れるということ。

そういう時に僕には頼れる友達や先輩や仲間がおり、ケツを蹴り上げてくれるではないですが、辛い時に支えてくれたのが当時大いに救いになりました。(もちろん今も助けられていますが)

もしその時に、今回のような死にたいなら一人で死ねばいいなんて言われていたら、きっとおそらく本当に自殺してもおかしくはなかったと思います。
あるいは、そんなことを言う人は自分のことなんてわからないくせに偉そうな事言いやがって。と怒りが湧き、ひいては殺意にまで発展し、殺人事件を起こしていたかもしれません。

話が長くなりましたが、僕はこの記事を読んで、もしどこかで選択を違えていたなら、今回の事件のような加害者になってもおかしくはなかった、と感じるのです。

 

あらかじめ、今回の事件の加害者を擁護する気はさらさらないと先に言っておきますが、ただ、この人には支えてくれる人が一人でもいなかったのだろうか、とも考えてしまいます。

同じように、生活がうまくいかずに精神がボロボロになって生きていくのが難しくなり、人生や社会に絶望している。なんで俺を受け入れないんだと怒っている方も多くいるでしょう。

実際、中高年の引きこもりが約61万人いるという発表も今年されています。

そのような心が不安定な方々に死にたいなら一人で死ぬべきなんて言葉を多く見たら、それが引き金になって本当に自殺する。あるいは今回のように凶行に走る恐れもあり得ます。

そんな事が起こった際には、このように言った我々の方が加害者になってしまうのではないのでしょうか。

また、僕がそうだったので言いたいのですが、明日は我が身ではないですが、今日まで元気だったけど明日・一週間後・一か月後・一年後に、このような精神的に不安定な状態に誰もがなる可能性を秘めていると思うのです。

そうなったときに何があっても社会はあなたに死んでほしくない。一人にしない。というメッセージを発信していき、自殺や凶行を防ぐ。
そのようなメッセージを社会や人々がどんどん発信していく方が、追い詰めるよりもよっぽど人間としてカッコいい・優しいと僕は感じます。

今回の藤田さんの記事を読んで、僕はこのように感じました。

もちろんこの記事を読んで不快になる方も多くいらっしゃるかとは思いますが、あまりきつい言葉を本人にぶつけるという事はやめていただきたいな、と一個人としては思っています。

最後になりますが、改めて、今回の事件で被害に遭われた方々やご遺族には、心からお悔やみを申し上げます。

生活

Posted by naishybrid