【ペットとの別れで後悔しないために】15年共にした愛犬を見送って気づいた5つのこと

正直、今回の記事を書くことは、僕にとって非常に辛い作業です。読んでいる方も、決して心地よい気分にはなれないかもしれません。

ただ、それでも、この先、いつか訪れる「その日」に、ペットを飼っている誰かの辛い気持ちが少しでも和らぐことに加え、少しでも大切な存在と長く一緒にいられるようにという想いを込めて、この記事を書いています。

 

 

先日、僕の最愛の愛犬が、虹の橋を渡りました。

愛犬は愛犬なのですが、最愛とつけるくらい、僕は彼のことを愛していました。
(正確に言えば、現在進行形でずっと愛しているんですが。)

チワワだったのですが、15歳と約2ヶ月。ほぼ、チワワの平均寿命と言われていた年齢で、彼は旅立っていきました。

 

この子が亡くなってしまった原因は、老衰ではなく、腎不全でした。

加えて、これはもう完全に飼っているこちら側の落ち度なのですが、様子がおかしいな?となってから動物病院で血液検査をした頃には、もう手の施しようがない、という状態であり、腎不全を抑えるための薬をなんとかして飲ませていましたが、それでもそう言われてから約1ヶ月後に、この子を見送ることになりました。

 

正直、今も書いているだけで涙が出てくるほどであり、当日、並びに翌日に行った葬儀(火葬)をした日は、ただ口を開くだけで泣きそうになってしまうほどであり、想いを口にしたものならば、ボロボロと泣いてしまい、この2日間は、泣きすぎて頭が痛くなるほど泣きました。

 

以前も僕は犬(柴犬)を飼っていたことがありますが、その子は逆に、その日もお散歩に行ってご飯を食べていたのに、ある日突然旅立ってしまいました。
なので僕は、ある日突然逝かれる悲しさも、闘病をした末に旅立つ悲しさ。2つのパターンを経験しました。

もちろん、どちらの方が良いかなんて比べられず、どちらにも相応の痛みがあり、後悔は必ずついて回るものだと断言します。

逆に、あぁ俺は/私はやり切った。なんの後悔もないよありがとう。なんて言える飼い主は、まずもっていないと思いますし、どうやって過ごしていたらそう言えるのか、今の僕にはわかりませんが、それも、一つの愛の形なのでしょう。

 

だからこそ、今ペットを飼っている人に伝えたい、いつか必ずやってくる、最後の日。その日に少しでも後悔を減らすために、覚えておいて、かつ、今日から実践をしてほしい5つのことをお伝えさせていただきます。

ペットとの別れが来る日までに覚えておくこと・実践してほしい5つのこと

寿命=数字としか捉えられない

何かしらの動物を飼っているのであれば、おそらくまず最初に、その子の平均寿命、というのを知ることになると思います。

その長さが短いのか長いのかなんて一概には言えませんが、ただ、何かしらの命を飼うというのは、イコール、その子とどれだけ一緒に暮らせるのかということです。

僕自身、この子を迎え入れて数日後に、チワワの平均寿命が、約15年ということを知りました。

 

ただ、目の前で生きているその子に対し、15年後にいなくなっちゃうのか・・・なんて思いはしましたが、当然かもしれませんが、実感というのは湧かなかったです。まぁ、そりゃそうですよね。

だって、目の前で生きているこの子の15年後なんてわからないですし、それよりも長く生きるかもしれませんし、逆に短くなる可能性だってあるわけですから。

 

と言いつつも、その最後の時にどう死んでしまうのかわからないからこそ、想像が出来なかったというのが、本音のところです。
これは誰しもがそうですが、十何年後に必ずやってくる悲しみ。ただどう別れるかわからない。それを今ありありと想像して悲しむなんて、不可能じゃないですか?
仮にしたとしても、その想像をしていた悲しみをはるかに超える悲しみが実際に襲ってくるのは、おそらく多くの飼い主が、言葉にしなくてもわかっている。

だとしたら、そんな想像をしても無意味であり、それならば、今目の前にいるこの子を幸せにしてあげようと思う飼い主さんが、ほとんどでしょう。

 

だからこそ、寿命。つまり、一緒にいられる時間がどれだけなのかと、その最後の見送る瞬間のことなんて、わかっているようでいて、実はわかっていない。わかりたくないではなく、わかっていない。その時のことを想像出来ない。そういう飼い主さん、多いのではないでしょうか。

 

実際、僕自身がそうで、動物病院で先生に診てもらってから、その最後の時というのを、ようやくはっきりと想像出来るようになりました。

遅いと言われてしまうかもしれませんが、それほどまでに、一緒にいられる時間がいつまでも続く。そんなありえない錯覚をしてしまうくらい、当たり前だったからこそ、皮肉なものですが、この無情な宣告こそが、ある意味現実を見せてくれたのかもしれません。

 

なので、寿命を知っておくのは大事ですが、ただ、それはあくまで、単なる数字でしかなく、実際にその時が来るまで、実感は湧かないもの。そう心に留めておくことをお伝えしたいです。

些細な変化を「老い」で片付けない

これが私の最大の後悔です。かつ、旅立ってしまって尚、抱えている後悔になります。

この子の体の異変を、寿命が近いから、という理由だけで、家族全員が軽視してしまっていたことを、未だに悔やんでいます。

 

これまで食べていたえさ(ごはん)を食べなくなったこと。それまで大好きだったさつまいもを食べなくなってしまったこと。トリミングした後に、なかなか毛が生えてこなかったことなど、今思えば、それら全てが明らかに異変としか言えなかったのですが、ただ、それでも当時は、もうすぐ15歳になるから。歳だから。ということで片づけてしまい、家族全員が真剣に向き合っていなかったんです。
そして先ほども触れたように、病院で診てもらった頃には、既にもう手の施しようがない。そんな状態になってしまっていました。

 

これは、一重に家族全員の失態であり、老いを理由に全てを片付けてしまっていた。この後悔は、今もずっと残っており、もっと早くこれは何かおかしいぞ?となって、早いタイミングで病院で診てもらえば、今もまだ、あの子と暮らせたんじゃないか。おいしいものをもっとあげられたんじゃないかなど、たらればの話にはなりますが、それでもできたことはあったんじゃないかと、後悔はずっとしています。

 

だからこそ、高齢のペットを飼っている方は、様子がおかしい・前と違うなど、些細な変化を見逃さないようにし、それを年齢のせい、で片付けず、一度病院に行って診てもらうこと。それを必ず行ってほしいです。

その場合、しっかりした検査を行うとなると、決して安くはない額になるとは思いますが、それでも、一緒にいられる日々を一日でも多くしたいのであれば、検査費用を惜しまず、異変を感じたらすぐに医師の診断を仰いでほしいと、心から思っています。

「動画」を意識的に残しておく

また別の後悔なのですが、僕はその子の写真は、何千枚と撮ってきましたが、動画となると、あまり撮ってこなかった。
その後悔を、今僕は抱えています。

 

というのも、動画を撮っておくことの何が良いかと言うと、この年齢の時のこの子はどうだったのかというのを、はっきり残せるからです。

これは、写真を見るだけでは思い出せない、大切な記憶媒体となります。

 

例えば、その子が0歳の時はどういう動き方や鳴き方をしていたのか。5歳の時はどういう動き方や食べ方をしていたのか。10歳の時はどうかなど、事細かに動画として記録をしておくと、ああこの年齢の時、この子こんなだったなぁ、とパッと思い出せますし、それを見て他のことも連想して思い出せるかもしれません。

 

ちょっとだけ無情なことを言わせていただきますが、意外と、若い頃のその子の姿というのは、時間が経てば経つほど、はっきり思い出せなくなります。

一緒に過ごせば過ごすほど、一番残る記憶というのは、年を取ったその子との記憶となります。

当然、覚えていることは自分の中にだって当然ありますが、ただ、元気だった頃に、動き回る姿をちゃんと映像として残しておかなかったことを後悔しています。

 

もちろん、毎日動画を撮れと言っているわけではありません。
ただ、意識的に、動画を多く撮るようにする。たったそれだけのことをしてほしいんです。

あの子どうやって散歩してたっけ?どうやってジャンプしてたっけ?どうやっておもちゃで遊んでたっけ?って思って、その映像を見たいなとなっても、手元にないというのは、後から辛いものがやってきます。

 

生きた証をしっかり残しておくこと。それは後々、あなたを救う大切な媒体になります。
そうすれば、後からやってくる後悔を一つ減らせると、断言させていただきます。

別れの「準備」をあらかじめ調べておく

これは一人暮らし・二人暮らし・家族で住んでいる人など、世帯人数関係なく当てはまることですが、亡くなってから葬儀や火葬について調べるのは、精神的に極めて過酷な作業です。

具体的に言えば、死後硬直のケアや、死後尿や糞、血液などがどのくらい出てくるのか。遺体を置いておく安置の方法。その子を入れておく箱(段ボールなど)はあるのか。近くの火葬サービスはどこにあるのかなど、僕がつい数週間前に実際に直面し、行ったことを一部抜粋したのですが、何の用意もしていない・知識もない場合、その時になってそれら全部をやろうとするなんて、とてもではないですが、無理だと思います。

 

その子が生きている時にそんなことを調べるなんて酷かもしれませんが、それでもその時になってあたふたしてしまう前に、事前にちゃんと今列挙したことを調べておくことや、遺体を入れる箱をあらかじめ用意しておく。
それが、その時の自分を助けるだけでなく、最後のその時、その子を綺麗な状態で送ることにも繋がるため、必ず調べるようにしましょう。

ペットの写真や動画を撮る=その子と生きた日常を残しておくこと

僕はあの子を失った後、一つだけ、気づいたことがありました。

 

それは、僕が撮っていた写真は、あの子と一緒に生きていた日常を残しておいたんだ、ということです。

 

僕は、何千枚と、写真を撮っていました。
それこそ、数え切れないほど、撮ってきました。

その写真を撮る時、僕はかわいいと思って写真を撮ってきました。

ですが、今写真を見て思うのは、もちろんかわいいという感情は変わらないのですが、ただ、それ以上に、一緒に生きてきた日常の重みを、今になって感じるようになったんです。

 

ただ寝ている姿。ごろんとまったりしている姿。家族に甘える姿。その一瞬一瞬が、とても儚く、大きな意味を持つようになり、ここにしかなかった、当たり前じゃない毎日を過ごしていたのだと、今になって改めて気づかされたのです。

 

だからこそ、かわいい姿を残しておくというのは飼い主の方ならば当たり前に抱く感情ではありますが、今目の前にある全てが、当たり前の日常ではない。二度とは戻らない儚い時間なのだと、一緒にいる時から意識するだけでも、撮れる写真の構図が大きく変わるだけでなく、それが後々の自分を救うはずなので、このような意識も、少しだけ持つことをおすすめいたします。

いなくなってしまった後にどう過ごしているか

ここまで、いなくなってしまう前に行っておいてほしいことを話してきましたが、ここからは、今の僕の過ごし方についてお話させてください。

 

時間として数週間が経っているのですが、当然未だに、心にぽっかり穴は開いております。
ただ、正直塞がなくていいと思っていますが、時間は進むわけで、いつか、この環境に慣れる日も来るのかもしれませんが、今はまだ慣れていません。

だいぶ泣くこと自体は少なくなってきましたが、それでも、常に寂しさは抱えており、いつもいるであろうところにあの子がいないことが、本当に寂しいです。
今は、毎日あの子の骨壺におはようやおやすみといった挨拶から、ただ言葉を一方的にかける。そんな日々を送っています。

 

もちろん会えないことや触れられないことは本当に寂しくて悲しいのですが、ただ、今一番悲しいことは何かというと、スマートフォンの写真フォルダのこの子の写真が、もう増えないということです。

正直、これが一番心に深いダメージがありました。

 

僕は多頭飼いの家庭なのですが、あの子のお嫁さんとも言えるチワワと、その子供もいます。
なので、あの子の血を継いでいる子は目の前にいますし、その子たちは常に溺愛しています。かつ、このことがあってから、より一層その子たちの健康に気を遣うようになりました。

なので、その子たちの写真はこれまでと変わらず、常日頃から撮っているのですが、それでも写真フォルダに、この子の写真だけが増えてこない。

まさかこれが、一番ダメージに来るとは夢にも思っておらず、いない・さわれないということ以上に、現実の辛さを味わせてきました。

 

正直、辛いのは変わりはないのですが、それでも僕は、一つだけ、希望を持っていることがあります。

それは、あの子は生まれ変わってくる。そしてまたきっと会える、ということです。

 

何をそんなスピリチュアルな話をと思うかもしれませんが、僕がそう信じている2つの理由も、お伝えをさせていただきます。

生まれ変わってくることを信じている2つの理由

実際にそういうケースがある

今回、病気になってからいろいろなことを調べている中で、死んでしまったペットが、姿を変えて戻ってきたというケースを、少なからず目にしてきました。

以前、僕は映画【僕のワンダフル・ライフ】という映画を見たことがありました。
その話は、主人公の犬が何度も生まれ変わるという話なのですが、そういうことあったらいいけど、フィクションなのだろうと当時は高を括っていたのですが、ただ、実際にあったという話を目にすると、本当にそういうことがあるかもしれないと思うようになってきたのです。

もちろん、仮にそうだと思って迎えた子がそうではなく、重ねて見てしまうことは、その子にも失礼だと思いますし、本当かどうかを確かめる方法もないので、結局は気の持ちようなのだとは思います。

 

ですが、何十年も一緒に過ごしてきた飼い主の方が一目見て、心の底からこの子の生まれ変わりだと腑に落ちたのならば、それでいいのだと思いますし、外野がそれ以上とやかく言うべきではないと思います。

それに何よりも、もし本当にその子だとしたら、また会えたら、そんなの嬉しいに決まってるじゃないですか。

僕はそれをすでに目にしているから

こんなことを言っていますが、実は僕は、もうすでに、生まれ変わりというのを目にしています。

ただ、それはペットではなく、僕の死んだ祖父になります。

 

その祖父は4年ほど前の2月に亡くなったのですが、そこからしばらく、いや体感としては、本当にたった2か月くらい経った、春頃だったと記憶しています。

母親から、あれがおじいちゃんの生まれ変わりだと言った、一匹の動物がいました。

それは、【ジョウビタキ】という鳥でした。

 

僕が住んでいる地域はド田舎なので、いろいろな鳥を常日頃から見てきましたが、このジョウビタキという鳥については、それまで一度も見たことはありませんでした。
本当に、亡くなってからしばらくし、突然やって来たのです。

 

しかも、このジョウビタキですが、我が家だけでなく、姉夫婦の家や、それこそ親戚の家にも現れたという報告も聞きました。

更に言うと、4年前からやって来たにもかかわらず、未だに、ちょくちょく我が家の庭に来ているのです。それも、たった一匹だけで。

 

さすがにここまでくると、偶然ではとても片づけられず、僕も自然と、そのジョウビタキを、死んだおじいちゃんの生まれ変わりだと信じ、来るたびに家の中からではありますが、話しかけるようになりました。

 

なので、自分自身がもうすでにそういった体験をしているからこそ、いつかまた、あの子に会えるんじゃないかという希望を持っているのです。
人間でそうなら、ペットだってそれがあっていい。そう思うだけでも、気持ちが軽くなり、悲しみを越える力になるのではないでしょうか。

おわりに

最後まで書いてきましたが、正直、我ながら薄情なやつだと思っています。
そりゃそうですよね。愛犬を亡くしてお前そんなこと記事にするなんて、と思われても仕方がないでしょう。

僕だって、こんなことで記事を書きたくないというのが本音ですし、今だって文章にしていること。それすら嫌な気分であり、正直、一文一文書くごとに、よりいなくなってしまったという実感が湧き上がってくる感覚があります。

 

ただ、この記事は、今ペットとともに幸せな時間を過ごしている人に向けて書いている記事となります。

特に、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、この時間が当たり前であり、永遠に続くものと錯覚しがちですが、必ず、どこかで、一緒にいれなくなってしまいます。
それは、ペットかもしれませんし、あるいは、飼い主のほうが先に旅立ってしまう可能性だって、ありえなくはない話でしょう。

だからこそ、一緒にいられる時間を大切にしてほしいというのは当たり前な話ですが、私の後悔が、後々の誰かの後悔を一つでも減らす糧になるのであれば幸いであり、そのような想いも込めて、この記事を書いています。

 

加えてこの記事は、今まさに、僕のように辛い気持ちになっている飼い主の方の気持ちが少しでも和らげば、という想いで書いています。

実際、今この瞬間にも、誰かの大切な存在が、虹の橋を渡っているのかもしれませんし、そのことに直面した飼い主さんの心の痛みは、言葉では言い表せないからこそ、直近その痛みを、悲しみを味わったからこそ、僕はそこに今最も寄り添える記事を書けていると思っています。

 

何度も言うように、ペットとは一生一緒にいれるわけではありませんが、それでも、かけがえのない、温かい時間をくれますし、いなくなった後も遺してくれます。

だからこそ、一日一日を大切に過ごし、最後の別れの日に、後悔をあまり抱えず、見送れることを願っております。

生活

Posted by naishybrid